東北地方太平洋沖地震に想う

平成23年3月11日午後2時46分、いつもなら簡単に
収まる地震の揺れが、かえって激しくなる。

これはただごとではすまない。
死ぬかもしれない。

社員とともに、事務所を脱出して駐車場に向かう。
色々な建物から人が飛び出してきた。

みんな恐怖におののいていた。
東日本大地震に見まわれた瞬間だった。

なぜこんな事が起きたんだ。
これからどうなるんだ。
不安がよぎった。

まわりの景色が
ストップモーションンのように止まって見えた。




そして32年前のことが頭に浮かんだ。
忘れもしない、水戸駅前の公衆電話で受け取った連絡。

取引先が倒産。

父の会社で4億4千万の不良債権が
発生するという内容だった。

地震ではなかったが、私の頭の中で
同じ様に一瞬時間が停止した。

そして事態が少し収まってくると
反比例するように不安は増幅した。

そして父の会社はその当時
県内史上最高の負債額30億で倒産した。




倒産の事実を本心から受け容れるのに
10年もの時間を必要とした。

長い長い暗闇だった。

なぜ私にだけこんな
災いがふりかかるんだと自分で自分を追い込んだ。

そして自暴自棄になり野良犬のように
飲み屋街をさ迷い歩いた。

ある日ふと心の中から叫ぶ声が聞こえた
『もういい、もう十分苦しんだ』
自然に涙がこぼれてきた。

自分の周りに起こった事を
全て受け容れて生き直そうと思った。




いま未曾有の災害を経験して思う。
これから苦しく大変な時間が長く長く続く。

日に日に将来に対する不安が募ってくる。
希望の灯りが見えてくるまで試練の毎日が続くだろう。


人間誰しも不運な人生を望む人はいない。

しかし自分が
幾ら真面目に努力しても

思いもかけぬ災難に
会う事がある。

時の運が味方せず思いもかけぬ窮地に
追い込まれる事もある。


しかし私は自信を持って言える。


いま良い事が
永遠に続く保証もないし

いま悪い事が
死ぬまで続くわけではない。


状況は常に変化している。


だから良い時には決して奢らず
悪い時こそ挫けず希望を持つ事だ

諦めないで努力を続ければ
必ず人生の活路は必ず開ける。


だから不運な人生だと悲観してはいけない。


こころの重荷に耐え切れなくなったら
こころが折れそうになったら

全て心の内を吐き出せばいい。
吐き出していい。


泣いてもいい。
弱音をみせていい。
辛いと言っていい。


自分ひとりで
荷物を抱え込んではいけない。

重たくなったら
その荷物を降ろしていい。


毎日毎日出来るだけのことを
精一杯続けていけばいい。


それはやがて生きる力になっていく。


その先に間違いなく希望に満ちた時間が待っている。

その日まで皆で一緒に頑張ろう!

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●私が自分の人生はうまく行ってないと  認めたから起こったこと

●私が自分の人生はうまく行ってないと
 認めたから起こったこと



偶然だろうと、必然だろうと
丁度30歳の時に
私の人生を台無しにするような
事実が発生した。

父の会社が倒産
家も土地も金も何もなくなり
残ったのは
巨額の返済すべき借金だけだった。

変な話だが
そんな現実を本心から認めるのに
それから
10年もかかった。

こんな一方的に不幸なことが
私に起こるわけは無い。

確かに大変な問題だが
やがては何かしら良い事も
起きるだろう。

しかし何も起こらなかった
何一つ良い兆しは起きてこなかった。




◎正直言えば怯えていた。


自分の人生に問題がある事を
認める事は難しかった。

認めなければ
毎日何とか気持を誤魔化しながらでも
過ごしていける。

しかし認めた時から
現実から逃げられなくなる。

自分に嘘を突き通して
自滅するか

苦しいけれども
自分に刃を突き立ててでも
変化を起こすか

痛みを伴う作業だとわかっていたから
直ぐには答えを出せなかった。

自分に問いかけた。

再建会社を再度破綻させたのは
能力がなかったからではないのか?

いまおかれている状態は
八方塞がりなんではないのか?

その原因は
自分の考えを正直に認めず
逃げ回っていたからではないのか?

本当は全てわかっていた。
正直に認めて
その結果大きなプレッシャーを
受ける事になるのが怖かった。

残酷なまでに自分を赤裸々に
告白すると

自分が予想していた状態とは
全く違った展開になった。



まず気分が軽くなった。

自分が間違っていることは
直そうと言う気持になった。

自分に能力が無い事を
言い訳にもしなくなった。

自分が今
どういう状況にいようと
その責任は全て
自分にあると思えるようになった。

優秀な賢い人間には
生まれてこなかった。

しかし失敗ばかりの人生は
「自分は変われれるんだ」という
キッカケを私に与えてくれた。

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●私が結婚と仕事について想うこと

●私が結婚と仕事について想うこと



新年早々のろけている
わけでないが

私が今
なんとか正常な精神状態で
生きているのは
妻の存在なしには有り得ない。

いまから30年以上も前に
大洗の海岸で
「絶対幸せにするから」と
固く誓った約束は
全くの有名無実になった。

もともと
何十年も先の姿を約束しても
所詮それは無理な事だった。

事実、結婚して5年後には会社が倒産
その時には長男が3歳で
次男はまだ妻のお腹の中にいるという
とんでもない事態になっていた。

そんな惨憺たる結婚生活を
救ったのは
妻の私への対応だった。

正確に言うと私の悩みを
妻が無制限に受け止めてくれたからだ。




◎はじめから約束された人生など
 ないことがわかった。

世間には再建社長として
何とか持ちこたえている様には
装ってはいたが

「助けてくれ」と
大声で叫びだしたいくらいの
パニック状態だった。

だから妻に捨てられて
愛想をつかされていたら
とても持ちこたえられなかった。

それからの人生でも
何回か難しい局面に出会ったが
最後は妻に相談して
進路決める事が多かった。

25歳で結婚して神父様の前で
夢うつつの状態で誓った
「二人はともに悩みともに喜び合う」
という言葉は現実のものになっていた。




仕事も同じ様な事が言える。

再建社長になったことも
まったく予測出来ないことだった。

そこでの失敗と挫折を経験した事で
逆に今強く生きる事が出来る様になった。

自分の無力さを悟ったことで
じっくり腰を据えて人生を
歩んでみようという気持ちになった。




結婚したい相手を見つけるとか
希望の仕事に出会うとか

それはあくまでも
幸せになるキッカケでしかない。

仕事や結婚と言うのは
それにまず身を投じてみて
時間をかけて
花を咲かせることだとわかった。

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●私が人生の苦難を乗り越えた方法

●私が人生の苦難を乗り越えた方法



いま自分の人生を振り返ると
無駄な事など何一つ無いんだ
ということがわかる。

しかし波乱の人生の渦中に居る時
そう思えたわけではなかった。

なぜ私だけこんな過酷な試練を
与えられなければいけないのか・・・

なぜ私だけ
こんな経済的に困窮した境遇に
ならなければいけないのか・・・

挙句の果てに
倒産の後始末と言う難題まで
押し付けられて
なぜこんなに苦しまなければ
いけないのか・・・

そんな思いを
再建社長になってから
自分の心に
問いかけ続けていた。



◎55歳で身も心も
 投げ出して告白して強くなれた

その思いは
再建会社を整理して
新会社を設立
再度の経営危機が
訪れるまで続いていた。

アナログ経営に行き詰まり
私も会社も急速に
デジタル化を図らなければ
いけなくなった。

そこで強引に
それまでの失敗人生を
赤裸々に告白した。

人生最初で最後だと
思うくらいの覚悟で語った。

それまでの人生で起こった事を
全て受け容れた。

まだ幾らか残っていた
見栄や体裁を全て放り投げてみると
憑き物が落ちた様に
心が軽くなった。穏やかになった。

傷つくことへの
恐怖感がなくなった。




力を温存しておく事が
自分を大切にする事なんだと
大きな勘違いをしていた。

自分が持てる力を
出し切って生きればいい。

そうすればどんな結果が出ても
自分が成長する糧になる。

自分が自分の可能性に
蓋をしていたんだと気がついた。

いま62歳
自分の可能性は
まだまだ広がると信じている。

それが過信だろうが
自分の思い過ごしだろうが
大した問題ではない。

だってやってみなければ
誰も結果なんてわからないんだから

ようやくこの年になって
人生に立ち向かう勇気が出てきた。

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●私が自然に「ありがとう」と言えるようになったのは

●私が自然に
「ありがとう」と言えるようになったのは



再建社長になった30才の頃は
本気さえ出せば
自分に出来ない事は
何も無いと思っていた。

そんな根拠の無い自信は
一つ一つ順番に打ち砕かれていった。

しかし何時か実力を備えて
自力で解決しなければいけないと
悲壮な気持で毎日を生きていた。

10年という時間をかけて
得たものは
如何に自分の力が無いのか
思い知ったことだった。



◎こころがしなやかになって
 生き方が変わってきた。

60才を超えても
そんな昔の不運な出来事の記憶は
消し去ろうと思っても
そう簡単に出来ることではない。

しかし逆に老化に伴い
いま起こっている肝心な事は
忘れてしまうことがある。

違うのはそんな事実に
あまり拘らなくなったことだ。

出来なかった事実を
自分に問い詰めるような作業を
しなくなったことだ。

自分に出来ない事も
おおよそわかってきたし

自分が出来る事も
大体つかめてきた。

だから出来ない事を
素直に受け容れることにした。

「ちょっと手を貸してくれませんか」
と声に出すようにした。




ようやく最近になって
自分が出来ない理由を説明して
他人に頼むということが
できる様になった。

助けてもらったことに
「ありがとう」と言葉で
素直にお礼が言える様になった。

苦闘した再建社長時代に
こんな事が出来れば・・・

素直に「助けてくれよ」と
言えれば
あの苦しみは
違っていたのでは・・・

そう思わないではないが
それも含めて
良い人生経験だったと
受け止めている。

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●私が今どうしても やらなければいけないこと

●私が今どうしても
 やらなければいけないこと



色々な行きがかりから
今までの自分の人生を総括して
文章にまとめる事にした。

生まれて初めて
自分の人生で触れたくない部分に
自分一人で向き合う作業だ。

正直に言えば
自分の人生の暗澹たる部分は
記憶が薄い。

忘れようとして
自分の記憶から消し去ろうと
しているのかもしれない。

本音を言えば乗り気ではない。

何とか心の
リハビリをする術を覚えて

前向きに生きる
気持が芽生えてきているのに・・・




◎楽な道を選んだら
 心の傷は癒えなかった。


だが良い機会なのかもしれない。

恐らくこの時期に
今までの人生の総括しなければ
墓場にまで持って行って
永遠に仕舞い込むことになるだろう。

それでも私個人の
生きてきた事情に係わるものだから
誰も責めはしないだろう。

しかし敢えて
安易な道を選ばずに
困難な道を選んだ事が

結果として
自分を助ける事になった。

その事実は悩んでいる人の
心の中に持っていてもらいたい。

それを伝えるのが
多くの人に助けられて
生きてきた
私の義務のように思える。




損な様に思える生き方が
必ずしも損な人生にはならない。

不運な人生だから
不幸な人生になるということではない。

それを立証する為にも
どうしても通らなければいけない
自分への総括と挑戦だ。

どんな結末になるのやら・・・

2011年の
失敗社長の挑戦に乞うご期待!

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●私が自分に嘘を付くのを止めたのは

●私が自分に嘘を付くのを止めたのは



再建社長時代は厭な事も多く
辛い事ばかりだった。

その中でも
一番辛かったことは
正直にに自分を
見つめるという作業だった。

あんな理由が
あったからなんだと

こんな理由が
あったからなんだと

他人に
言うのは簡単だ。

しかし自分のことは
自分が一番良くわかっている。

怖かった。

数字の上では
全く可能性のない
再建計画だと
認めることが恐ろしかった。

敗者の運命を背負って
敗者の人生を生きるのが
怖かった。

自分のせいで
妻や子供達は敗者の人生を送る事に
なるのではないかとと怯えていた。



◎自分が正しいという事に
 拘わっていた間違いに気づいたから

自分が正しい事を
周りは認めるべきだ。

自分がやってきたことは
評価されて当然だ

そうなれば自分は
十分に力を発揮できる。

失敗人生を認めさえしなければ
何とかうまくやっていける。

しかしそんなことは
全てまやかしだと認めた。


怯えているのを認めた。
本当は意気地のない性格だと認めた。

こんな酷い状態に陥ったのは
偶然なんかではなく
自分にも相応の原因が
あるのを認めた。

自分の生き方が
間違っていた事を認めた。

それで問題点がはっきりした。





今までの人生で
自分がやってきたことが正しいと
確信していても

結果がうまく行ってなければ
やり方を変えて、生き方を変えれば
いいんだと気がついた。

生まれて初めて100%
言い訳をするのを止めた。

変化を起こすか自滅するか
どちらかの道を選ばなければ
ならなくなった。

「自分は変われるんだ」
生まれてはじめての気づきだった。

自分が変わることに
年齢なんか関係ないんだと
いうことがわかった・・・

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●私と妻との関係

●私と妻との関係



失敗して破滅するのではないかと
恐れおののく気持もあったが

30才で再建社長を引き受けたのは
やはり若さがそうさせたのかもしれない。

そして人生で初めて
絶望という大きな壁にぶちあたった。

再建などという状態ではなく
人間関係が混乱していた。

頑張ってはいた。
頑張ってはいたが空回りだった。

満足感もなく達成感もなく
空回りしている自分がよくわかった。

心身ともに疲れていた。
幾ら休息をとっても
不思議なほど疲れが取れなかった。



◎元気のない姿を曝け出せる相手

押し寄せてくる
難題に立ち向かってはいたが

やがて耐え切れないところまで
追い詰められた。

元気な再建社長である姿を
何とか維持しようと思った。

せめて妻には元気な夫である姿を
見せたいと思った。

堪え切れなくて
やがてダムが決壊した。

こんな人生は厭だ。

こんな辛い人生は
もう耐えられない。

情けない姿を妻の前に曝け出した。
思わず泣いてしまった。

それで救われた。

何とか人生の
重荷を背負い続ける事が出来た。

少しづつ前に
進むことが出来るようになった。

人にどう思われてもいい。
人にどう見られてもいい。

そう思ったら
苦しさの程度が変わってきた。




私が挫折した事で
妻のこころに触れられるようになった。

言葉にして自分の気持を
妻に伝えられるようになった。

妻が何を考えているのか
真剣に聞くようになった。

妻は語る。

結婚した相手が
自分を幸せにしてくれるのではなくて
自分を幸せにするのは自分なのよ!

納得・・・

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●私が生き方を変えたとき

●私が生き方を変えたとき



いままでの人生を振り返ると
自分で努力して克服できた事もあれば

いくら努力しても
どうにもならない事もたくさんあった。

一番の問題は
そんな不運な人生を自分が
受け容れられなかったことだ。

あんなことがなければ
こんなことがなければ

既に起こってしまった事にばかり
捉われていた。

いまは耐える時だ。

死にたくなければ
どんな苦しみにでも耐えられる。

そんな風に自分に言い聞かせても
辛さが増すだけだった。




◎出来ない事でも
 想い続ければいいんだと気がついた。

能力も無くて、気持も弱くて
目の前には大きな困難が横たわっている。

とても乗り越えられないと思った。

そしてて出来ない
自分を知られるのが怖くて
ひたすら逃げ回った。

結局逃げ切れなくて
出来ない自分を認めざるを得なくなった。

ヤケクソで洗いざらい告白した。
失敗人生の全てを公開した。

それで救われた。

それまでは自分の人生を恥じていた。

失敗人生で「自分は駄目な奴だ」と
悲観していた。




一つの失敗をどう捉えるかで
人生が変わってしまった。

失敗は成功には変えられない。

苦しみも喜びには変えられないが
苦しみ方が違ってくる。

自分を信じて胸を張って
精一杯生きればいい。

出来なくてもいい
強くなくてもいい

そうありたいと想って
願い続けることが大事だ・・・

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●私が這い上がって来る事が出来たのは

●私が這い上がって来る事が出来たのは



これでもかという程の
多くの失敗を重ねたから

もうこれ以上は無いだろうと
思っていた。

しかしそれは間違いで
大小取り混ぜて幾らでも起こってくる。

失敗に学んでいないのかもしれない。

能力の問題もあるのかもしれない

以前はそれが悩みになっていた
苦労になっていた。

そして悩みや苦労を
自分で探し出して溜息をついていた。

挙句の果ては
人を批判したり愚痴をこぼしたり
後ろ向きな日々を過ごしていた。




◎自分で養う心の姿勢

なぜか今は失敗をしても
心のダメージはそう大きくならない。

まず小さな失敗は必ず起きると
予め覚悟している。

そして自分自身の目標も
高過ぎる設定はしないように
注意している。

傍から見たら
生ぬるい計画かもしれないが
必ず達成して自信をつける。

しかし極め付きの方法は
他人を幸福にすることだ。

これは自分も
幸福感を味わう事ができて
前向きに生きる力が出てくる。




失敗と挫折の明け暮れで
ようやくわかったことは
自分の心の姿勢を養うことだった。

他人と自分を比較しない
感謝されることを期待しない。
仕返しをしようとしない。

そんな風に考えるだけで
色々な難局を切り抜けられる。

私はそうしてどん底から這い上がった。

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