●私の仕事と生きがい

●私の仕事と生きがい



思えば
倒産した父の会社の
再建社長になった時の私は
使命感に燃えていた。

社員の為に、債権者の為に
身を粉にして働いた。

しかしなぜか心の内は
全く満たされていなかった。

真面目に働いていて
ある日突然会社に裏切られた社員は
また同じ目に会うのではないかと
疑心暗鬼な気持が消えなかった。

真面目な取引きをしていた
仕入先もその想いは同じだった。

再建社長として幾ら私が
努力をしても

その人達の心を幸せにする事には
繋がらなかった。


◎他の人を幸せにする手伝いをする事は
 自分に生きる力を与えてくれた。

貴方のお仕事は?と聞かれて
記帳代行から人生・コーチングまでと答えると
ほとんどは怪訝な顔をされる。

もっとも自分でもどこからどこまでが
仕事なのか境目がついているわけではない。

個人事業主の記帳代行は
その特殊性がゆえに

小さな会社でも
お客様の役に立つ仕事は出来る。

こうしたら
必ず失敗するということは
自分の人生で
体に刻み付けられている。


だから人生コーチングは
同じ徹を踏まないように
アドバイスをする事ができる。

そして以前とは
比べ物に成らないほど

自分では
手応えもあるし喜びもある。




振り返ってみると仕事は
何かの為に、誰かの為に
役に立つという事が必要なんだと思う。

そして終生その形を
追い求める事になるのかもしれない。

いま若者の就職は超氷河期で
ニートやフリターになる
事情がわからないではない。

しかし
諦めないで努力はして欲しい。

私の様に遅すぎた気づきでも
働く事で生きる喜びを
味わう事が出来るのだから・・・

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●自分の変化を ワクワクして期待している理由

●自分の変化を
ワクワクして期待している理由



10年間という長い時間を費やした
会社の再建は叶わず

私が40歳のとき
跡形もなく消滅させるという
最悪の結果で終わった。

不思議な事に喪失感よりも
開放感の方が大きかった。

地獄のような資金繰りから
解放されたこと

怨念の塊のような
人間関係から解放されたこと

一番大きかったことは
父を恨む事を止めたことだった。

許すことは出来なかったが
恨む事はやめた。

大変な人生に
なってしまったけど

自分なりに良く頑張ったと
納得した。



◎自分の人生を見る角度を変えただけで
 心に劇的な変化があった。

頑張った人生を
自分ではそれなりに評価はしていたが

常にモヤモヤとしたものが
心の隅に残っていた。

過去の古傷を
完全に総括していなかったからだ。

55歳の時ホームページで洗いざらい
自分の失敗人生を公開した。

再建社長を10年間も努めながら
その会社を消滅させるという過去は
取り返しのつかない失敗だと思っていた。

自分の人生の
最大の恥部だと思っていた。

しかし完全に総括した事で
はらわたまで見せて告白したことで
それは得がたい経験だとわかった。




再建社長で
混沌とした日々を送っていた時は

人生を前向きに考えて生きることなど
金輪際無いと思っていた。

過去の不運な出来事は
無かった事として消し去ることは出来ない。

しかし辛い失敗経験があったから
人生を深く考える事が出来るようになった。

いま62才。

自分がどんどん変わっているのがわかる。
むやみに色々な本を読みたくなっている

人が幸せになる手伝いが
何か出来ないかと探している。

明日の自分が
どういう風に変化していくのか
ワクワクしている自分がいる。

これを遅れてきた青春とでも
言うのだろうか

いや遅い気づきと言うほうが
正確な表現かもしれない・・・

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●私が55歳で気づいた生き方

●私が55歳で気づいた生き方



倒産に限らず
経済的に破綻してくると

それまで水面下に潜んでいた
難しい人間関係が表面に出てくる。

生きているだけで
誰もが何かしらの悩みをもっている。

微妙なバランスで
心に潜んでいた問題が

経済的に困窮すると
不平や不満と言う形で暴発する。

私の場合は親子関係が
破綻した。

なぜこんな運命に巻き込んだと
私は親父を恨んだ。

息子だから運命を共にするのは
当たり前だと親父は私を責めた。

お互いが一歩も退かず
長い長い対立が始まった。



◎失敗人生を
洗いざらい曝け出して立ち直れた

はらわたまで見せるように
失敗人生を洗いざらい公開すると
何も守る事が無くなった。

すると不思議な事に
少し心境の変化があった。

親父は間違っている。
その考え方は変えるべきだ。
私は正しい。
親父が変わらなければ駄目だ。

その本音のところは
大して変わってはいない。

ただ少し考え方を変えた。

親父の考え方を肯定はしない。
とてもじゃないけど親父の考え方は
好きになれない。

でも無視しない事にした。
そんな考え方が世に中にある
というのを確認した。

そして親父との難しい関係を
乗り越えられない自分を認めた。




そこまで辿り着いて
いくらか溜飲がさがった。

不運な事実に拘っていないで
前に進もうと思った。

心の中の仮想敵も、今は誰もいない。
すると自分に優しくできる。

自分に優しくできるようになると
人にも優しくできるようになった。

人の意見を無視しないことが
実は認めることにもなっていた。

そんなちょっとのところに
気がつくのに長い時間がかかった。

「遠回りの人生」
何か演歌の曲名のようだが
私の生き様を
全て表しているような気がする。

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●私の心の傷の癒し方

●私の心の傷の癒し方



私は良く言えば楽観主義で
悪く言うと努力もしないくせに
甘い結果ばかり
期待する怠惰な性格だ。

そんな私でも傷つく時はある。

負債30億からの復活なんて
かなり威勢の良い講演をしていても

再建社長時代の古傷が
全て癒えている訳ではない。

油断していると
たちまちフラッシュバックしてくる。

挫けそうになる。
結構弱気になる。



◎失敗社長式「自己治癒方法」

色々なことを意図して
人生相談やコーチングを始めた訳ではない。

生来のやってやりたがりの性格がある。

自分の失敗や挫折の経験から
幾らかでも相談者の悩む気持がわかる。

しかし自分でも前向きな気持ちで
この仕事に当たれるのは

達成感があるからだろう。
生きるエネルギーが出てくるからだろう。

何故そう感じられるのかは
自分でもわからない。




失敗社長経験を話していると
何か心が楽になるような気がする。

失敗社長ブログを書くたびに
心がリセット出来る。

人の心の傷を癒していると
自分の心の傷も癒えてくる。

人が幸せになる手伝いをしていると
自分も幸せな気持になってくる。

失敗社長だから
こんな心の治療方法に
気がついたのかもしれない

人にしてあげたものは
やがて自分に返ってくると
いうことなんだろう。

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●私の人生のターニングポイント

●私の人生のターニングポイント



倒産した事は事実。
何もかも失ったことも事実。

しかしそれを受け容れる事は
中々難しかった。

何と理不尽な話だろう。
何と神様は不公平なんだろう。

消そうとしても消そうとしても
その想いは少しも無くならない。

自分でも危ういなと思いながら
自暴自棄の生活に明け暮れた。

倒産してから10年も
経っていた。

このまま地獄の底まで
転げ落ちると思った。



◎もうこれ以上できないと思った時に
 うっすらと明かりが見えてきた。

これ以上出来ない。
もう充分苦しんだ。
そう心の中でつぶやいた。

不覚にも涙がこぼれてきた。

最悪の結果で終わった
再建だったが

生まれて初めて
全力を出し切った。

不思議な事に
そこで重荷から解放された。

不思議な事に
そこで不安な気持が無くなった。

苦しみから逃れようとして
失敗で傷つくのを恐れて
中途半端な所で決着をつけていたら

ここまで心の持ち様が
変わってはいなかったかもしれない。



だから今も想う。

所詮自分の能力以上の事は
出来ないのだから

目の前の仕事に
自分の力のあるったけの力を
出し切ることだ。

そしてどんな結果になろうと
それを受け容れる。

そうすれば何度でも
挑戦しようという気持ちになれる。

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●自分を取り巻く状況は常に動いている。

●自分を取り巻く状況は常に動いている。



再建社長になり
再建計画も7年目をむかえた頃

最早打つ手は何も無い事は
私だけは分かっていた。

後一年持つのか2年持つのか
いずれにしても再度の破綻は免れない。

そんな不安な気持を支えたのは
ある人の言葉だった。

状況は絶えず動いている。

いま良い事が永遠に続く
保証があるわけではないし

いま悪い事が
死ぬまで続くわけではない。

だから諦めてはいけない。

努力を続ければ
必ず人生の活路は開ける。

30年前に聞いた
その言葉を忘れた事は無い。



◎自分を変える事は出来る。

血がつながっている親子だから
円満な関係が作れるわけではない。

夫婦だからといって
仲良く暮らせるわけではない。

しかし状況は常に動いている。

人間も変わることは出来る。
自分を変えることは出来る。

ただし誰かが何かを
やってくれるのを待っていても
何も起こらない。

「おはよう」という一言でも良い。
「ありがとう」という言葉でも良い。

まず自分が動き出せば
まわりが必ず動いてくる。

出来る所から始めればいい。
それが良い人間関係を作っていく。

失敗と挫折に明け暮れた人生は
そんな生き方を教えてくれた。

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●失敗続きの人生で変わったものは

●失敗続きの人生で変わったものは



失敗して挫折して
そんな自分をようやく受け容れて

何と出来ない自分なんだと
認めることが出来たのが丁度40歳。

何とか勇気を奮い起こして
人生に立ち向かって
20年以上の時間が経った。

相変わらず失敗は続いている。
流石に原因は自分でもわかる。

ひたむきな努力をしない
成り行きまかせ。

多くの結果は期待するけど
それに見合った努力はしなかった


●生きる姿勢

努力もしないで
甘い結果ばかり求めていた。

だから足元がふわふわしていて
勝負に出ても

失敗が口をあけて
待ち構えている感じになる。

当然結果は伴わない。
あぁヤッパリ駄目だったと思う。

だから失敗経験が
何の肥やしにもならなかった。





必要なのは勇気だった。

多くのものを得たければ
努力をして
ありったけのエネルギーを投入して

それだけのリスクを負わなければ
いけなかった。

努力と勇気と実行の3点セットで
事に当たれば

同じ失敗しても
まったく後味が違う。

やる気を出すには
どういう風にすればいいのかと

ぐだぐだ考えているより
やってしまった方が早い。


性格は変えられないけど
生きる姿勢は変えられることに
ようやく気がついた。

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●なぜ不運な人生でも 幸せな気持になれるのか

●なぜ不運な人生でも
幸せな気持になれるのか




再建社長時代と
その後の人生では
経済的なことは
何も大きく変わってはいない。

形あるものは何もかも失って
スッカラカンになっていたからだ。

大きく変わったのは
自分を支える考え方だろう。

再建社長時代は
不運な状況を招いた
犯人探しばかりしていた。

父を含めた関係者を
批判して非難して
間違いを指摘して

やがてそれが嵩じて
恨み憎むようになった。

不平不満な状態を
愚痴る毎日が延々と続いた。

自分で自分に
毒を吐きかけていた。

やがて体調も悪くなり
自信喪失して

再建会社を消滅させるという
最悪の事態になった。



◎自分がどういいう人間かと
 問い詰めるより
 自分が何を考えるかで
 人生は変わってくるんだということに
 気がついたから

ストレスの限りを尽くした様な
10年間の再建社長時代が終わった。

油が切れた機械が焼付いたように
どうにも動く力が出てこない。

このままでは生きられない。

このままでは生きる力など
出てくるはずも無いと思った。

それではこのまま朽ち果てるか・・・
そんな覚悟も度胸も無い・・・

立ち往生して得た結論は
取り合えず
恨み辛みと不平不満の
気持を一時停止することだった。

気持を入れ替えたなどと
綺麗事で言えるような

スッキリした状態ではないが
何とか考え方を転換する事ができた。





文句を言わない。批判しない。非難しない

不思議な事にそれだけでも
自分の心が少しづつ穏やかになってきた。

空の青さも
分かるようになってきた。

草花の赤や緑の色も
こころが感じられるようになってきた。

自分で自分の人生をゆがめていた。
自分で自分の人生を食い荒らしていた。

今でも自分の
人生の不運を嘆く気持が

まるっきり
無くなったわけではない。

恨み辛みの気持が
100%無くなったわけではない。

でもそんな時には
「危険だよ。危険だよ」と
自分の心にささやく。

その病原菌を
押えつけることが出来れば

生きるエネルギーが
数倍も違ってくるのがわかったからだ。

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●失敗を重ねたのに なぜ考え方がぶれなくなったのか

●失敗を重ねたのに
なぜ考え方がぶれなくなったのか



父や同族の幹部が不正な取引きに
手を出した事が

会社が負債30億で倒産した
直接の原因だった。

しかしその後に再建社長で
迷路に自分から入り込んでしまったのは

私自身の考え方の間違いに
よるものも大きかった。

不正な取引に
自分自身が直接加担していたわけではない。

しかし自分の立場ばかり擁護して
他者を責めてばかりいた。

そのツケが
やがて廻って来る事になった。



◎自分や自分の周りに起こった事は
自分にも責任があることに気づいたから

思いもかけず再建社長の
指名を受けて呟いた。

「あぁ体を張ってでも不正な取引きを
止めさせておけばよかった」

事が起きてしまってからでは
何を言ってももう遅い。

それからの10年間は
七転八倒の苦しみを味わうことになった。




失敗をした時には
相手が悪い場合もある。
周りが悪い場合もある。

しかし自分以外に
多くの失敗の原因があるからといって

なぜわからないんだ!
なぜ理解してくれないんだ!
と相手に幾ら訴えても

それを変えていくのは
容易なことではない。

だからまず失敗した原因の究明は
まず自分の責任から考えることにした。

失敗したことを改善していくのには
人に求めるより自分が変わる方が
ずっと簡単に出来ることがわかった。

失敗をしたから
気がつくことが出来た
自分の生き方だった。

そこが自分が生きていく為の
ぶれない軸になっている。

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●失敗と挫折を経験してその先に見えてきたものは

●失敗と挫折を経験して
その先に見えてきたものは



私が30歳のときに
父の会社が倒産した。

当然の如く
形あるものも無いものも
全てを失った。

それからの日々は
失ったものを取り戻そうと
必死であがいていた。

自分の身に起こった
不運な出来事にばかり捉われていた。

だから余計苦しくなって
10年間悶え苦しんだ。

そして
現実を全て受け容れた。

いや
受け容れざるを得なかった。



◎一見マイナスに思える様なことも
考え方一つでプラスになること

自分の弱さを
認めることが出来なくて

自分の本当の姿が見えて
いなかった。

コテンパンに失敗して
挫折した自分を丸ごと認めたことで
逆に自分の良さにも気がついた。

詰めの甘い
アブアウトな性格だから

丸裸になっても
「何とかなるさ」と腹をくくって
生きながらえる事が出来た。

経営のセンスも能力も無いのが
よぉ~くわかったから

自分に出来無い事は
頭をさげて誰かに頼まなければ
成就しないことがわかった。

どうしたら成功するかは
100%語れないけど

「こうしたら必ず失敗するよ」
ということは幾らでも教える事ができる。





大事なことは
自分の人生で何が起こったかと
いうことにばかり捉われないで

起こった事実にどう対処して
生きるかということだった。

だから失ったマイナスを
減らすことよりも

それで得たプラスの新しい自分を
フル回転して生きて行こうと思っている。

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