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回答プロ:夫婦問題カウンセラー 村越 真里子
ご相談者:40代/男性
8月15日に妻が子供(7歳と3歳の娘2人)を連れて家出をし、8月25日付で弁護士より婚姻関係は回復困難で協議離婚かできなければ離婚調停に入り子どもの親権は妻がもつといった旨の手紙が送ってきました。
私と妻は市役所勤務ですが私は昨年11月職場での人間関係の悪化のため、鬱を再発させ休職、また妻は次女を産んだあと3年間育児休暇をとった後職場への不満と育児ノイローゼのためであると思われますが、精神疾患を患い、私と同じく休職しています。
8月15日、妻と子ども2人の4人ですごろくをしていたところ、急に妻の情緒が不安定になり怒り出して、私に怒りの言葉を投げかけてきました。
ちょうどそのころ、私は9月より復職のためのリハビリ出勤を始め、早ければ10月には復職できるようになっていましたが、体力の低下が目立ち、特に長文を書く際にペンを持つ手が震えるようになっていたため、手指に力をつけるためにハンドトレーニング用品を買ってきて、握りしめて力をつけるよう頑張っていました。
ところが、その様子を見た妻が、「私を殴り殺すために手を鍛えているの?」などと言ってきました。そんなことはありませんので、説明をしましたが、まったく聞きいられませんでした。
実は、現在通っている医院の前に通っていたクリニックでカルテを見てしまったことがあり、その際妻の名前と「統合失調症」の文字を見てしまいました。結局、妻が家出後妻が調べたことにより、それは誤解であり、実際は私のカルテに書かれており、妻として妻の名前が書かれていたものと思われます。
しかし、その時私は妻が統合失調症であると思っており私の気の高ぶりもあり、妻に「分裂かも知れない」と言ってしまったら黙り込み、遊んでいたリビングより去り、私の通帳を含むすべての通帳や家の権利書、実印をもって子供を連れ何も言わないまま妻の実家に家出しました。
実はその前に、7月21日に妻を叩いてしまったことがありました。
というのも、4〜5月頃より妻がおかしな買い物をたくさんするようになり始め、とても露出の高い派手な服や、派手な靴などを買っていました。妻に聞くと、カウンセリングに通っているうちに、カウンセラーよりイメージチェンジをすれば、精神は快方に向かう、という旨のことを言われたためである、と言っておりました。
私自身、昨年より、精神不安定により浪費をしてしまい、またその時も、妻を叩いた(暴力には変わりませんが、叩いた強さは、寝ている子どもを起こすぐらいの強さであり、顔に傷をつけるほどでもなく、赤らみもほとんどしないぐらいの強さですが)ため、その時も妻が家出し、その後、妻と話し合う場がありながら、妻が何も話さないうちに立ち去ろうとし、子どもの衣類等を大きな箱に詰め、もう帰ってこない素振りを見せたため、自殺をほのめかしたところ、強制入院させられたということもあり、引け目もあり、それよりも妻が快方になるならばと思い、妻の突飛な行動に対しても何も言わずにいました。
ところが、その行動がますますひどくなっていき、以降も派手な洋服やアクセサリー、CD、果てはアダルトビデオやアダルトグッズを買うようになり、さらに子どもたちが夏休みに入った後、子どもたちを私の両親(すぐ近所に住んでおります)に預け、自分は夜遅くまで出かけていく日が多くなり、にもかかわらず、私の母に対してひどい言動を言うまでになりました。
そして、買ったアダルトグッズを子ども部屋に置くなど目に余るようになってきたため、妻についに注意をしてしまったところ、開き直りの言葉しか出てこず、私はとても悲しい気持ちになり、また妻の精神がここまでひどくなっていることに対し、とても哀れに思ったため、妻に目を覚ましてほしいがために、顔を再び叩いてしまいました。
しかし、今になって思えば、妻は小さい頃から妻の父親が妻の母親にひどい暴力をふるっており、妻自身もいつもびくびくしながら暮らしていた、ということを聞いており、それを思い出して私は強烈な後悔の念に襲われましたが、後の祭りのことでした。
私は、心臓を患っており、子どものころ大手術をしてまいり、心臓ペースメーカーを埋め込み、身体障害者1級として暮らしています。
しかし、私は健常者に勝ることはできずとも負けずに生きていきたいと思い、勉学等頑張り、現在の職場である市役所に、障害者特別枠ではなく、一般職として就職いたしました。そして、3年半ほどは順調に健康にそれこそ他の者に負けないよう仕事をしていましたが、26歳の時、生命にかかわる心臓の大病を患ってしまいました。死ぬ間際の経験を何度も味わいながらも、主治医たちの懸命の処置のおかげで日本でも前代未聞と主治医が言っていたほどの大手術で、命を取り留めることができ、主治医にこれで60歳ぐらいまでなら生きられる、と言われました。
そして、復職し、同時に現在の職場とおなじ市民課へ人事異動となり、そこで仕事仲間となったのが妻でした。
市民課は、人間関係が複雑でしたがその中でも、妻は高等学校卒業後すぐに就職し、人間関係のしんどい中で頑張って仕事をし、さらに夜間に大学に通っておりました。私はその姿を見て、とても素晴らしい人だと思っておりました。
そして、仕事で付き合っていくうちに、二人は特別な存在になり、その中で、前述の病気を持っており、トラウマにもあり苦しんでいると打ち明けたところ、できるだけフォローしていく、私は考える担当、妻は実行する担当、などと言ってもらい、二人は結婚なりました。
私は結婚を踏み切るまでは、私自身他人よりも余命も短く、結婚しても、最期の時に相手に迷惑をかけるので、恋愛しても結婚はないだろうと、思っておりました。しかし、妻はよく言ってもらえ、また、同じく働いていることもあって、私も死後も生活に困らないよう、仕事を辞めずに続けることを条件に結婚しました。
結婚後、流産に悩まされたこともありましたが、平成13年に長女に恵まれました。
ところが、長女が生まれる時と同じく、私が人事異動により福祉事務所のケースワーカーへと配置替えされることになりました。
しかしながら、心臓の弱い私としては激務に耐えられるもなく、そこで鬱を発症してしまいました。
もちろん、組合などに相談もいたしましたが、結局10月頃から療養休暇に入るようになってしまいました。
結局、異動の1年後には再度異動できたのですが、異動先は前の仕事の嫌な日々を思い起こしてしまうような部署で、結局休職することになりました。
1年後にも再々異動しましたが、同じく嫌なことを思い起こしてしまうようなことがあり、再び休職しました。
このころ、鬱がとてもひどいころに、私が布団から出ることができずに寝込んでいるとき、妻から度々、仕事もせずにごろごろばかりしていて邪魔であるなどの暴言を吐かれ、さらに足蹴にされ、頭や腹部を蹴られるようなこともありました。私のペースメーカーは腹部に入っており、蹴られた時はすごい不安もありましたが、妻も仕事が妻の性格に合わず、かなりピリピリしていたことを知っていたので、許しておりました。
そして、妻が職場で何度も私が異動できるよう、直談判をしてくれたおかげで、調子が良かった元の市民課に戻れました。
市民課に戻ると鬱も快方に向かい、その年に次女にも恵まれることができました。
妻は3年間育児休暇を取ったのですが、その間、私の調子が良くなってきたこともあり、娘により良い教育を受けさせたいという思いから、私立小学校を志望し合格も頂きました。
しかし、妻が在職中のストレスや、私への介護疲れ、育児ノイローゼなどがかさみ、妻も鬱を患いました。
私は職場ではヒラから、少しでも家計に奉仕したいと思い、昇進試験を受け、昇進することができました、しかし、昨年、異動により上司がかわった際にその人と私が全くそりが合わず、パワハラ的なことをされ、鬱が再発してしまい、昨年10月より再び休職しました。そして、浪費等を重ねてしまい妻に精神的な負担をさらに与えてしまいました。浪費した分の金銭については私の両親が肩代わりをしてくれまして、両親にも大変な苦労をかけてしまったと思います。
妻の奇行が始まったころから、妻が長女への偏愛と次女へのネグレストが始まりました。次女が妻に絵本を読んでもらいようにねだると「お姉ちゃんの用事が終わってから」と、次女が寝るまで長女の相手をしたりすることが多く、当時妻も忙しかったのかも知れませんが、次女が妻になつこうとしていた時、次女を突き飛ばし次女の額に大きなコブができました、そして、その時は次女の看病は私がし、妻は用事があると言って外出してしまいました。2度目に私が妻を叩いてしまったのはこの頃です。
また、娘たち通っていた幼稚園の運動会が6月にあり、長女のときまでは運動会の場所取に、徹夜で順番待ちをしていたのですが、長女が卒園し、次女だけが出る運動会の時に妻は、順番待ちをする必要はない、と言い、結局、私と私の両親が順番待ちをし、それについて文句をつける始末でした。
妻が家出をした後、謝罪の言葉と、会って話し合いたい旨をメールしたのですが、全く返事が返って来ません。そして、翌日一度子どもに会いに妻の実家に訪れ子どもに会いましたが、とても寂しくその後、何度も謝罪と話し合い、それと、子どもがいないため、私が突如独りになってしまい、とても寂しい思いをしているメールを数回送ったところ、しばらく会いたくなく、妻や子どもに頻繁に会ったりメールをして欲しくないというメールが送られました。
そのため私は、子どもともう会えない、会うことがかなわないと思い込んで、日曜日に、私が家を留守にしていたあいだに、妻が家に入り、子どもの荷物を持って行ったので、事後承諾してほしいというメールが届きました。
そして、月曜日が給料日でしたが、すべての口座を持っていかれているため、探したところ、一枚だけ私名義のキャッシュカードが持っていき忘れられていたのを見つけたため、当座の生活資金として4万円を下ろしたところ妻より勝手にお金をおろした、と読める旨のメールが送られました。
私は、病気もおして、家族のため、妻、子どものために体も心も疲れきっても頑張って仕事をしようとしている中、全て失ってしまった喪失感、失望感を感じ、長女の携帯電話に「おとうさんはいないとおもってください」、「おかあさんと(長女の名前)と(次女の名前)とでしあわせになってください。おとうさんといるとしあわせになれないそうです」、「おとうさんはもうだめです」、おとうさんがいないけどもわすれてくださいさようなら」と書いたメールを送ってしまいました。その中でも、私の父親を通じて、何とか話し合いに乗ってもらえないか頼みましたが、一切シャットアウトされました。
家出するまでは私の隣で眠っていた長女、元気に走り回っていた次女ともう会うことができず、とてもとても愛しかった妻の姿も声もなく、それが許せないものと思うばかりのことが、面会権なども思うすべもなく、私なしで暮らしていく子供たちのことを考えると、さようなら、もうあえません、もうだめです、といったメールの言葉になってしまいました。
家に帰ると、実際に子どもたちの名残の者々がなくなっていたため、目先は真っ黒、頭の中は真っ白になってしまいました。
けれども、私の今持っている、またこの先も変わらないであろう望みはただ一つです。
妻も長女も次女も家に帰ってきて。確かに夫婦といええおもしょせんは他人であるのだから、意見のぶつかり合いもあり、ケンカもあるでしょう、また、子どもとのケンカになることもあるでしょう。けれども、今回のようなおおごどにならず、4人が同じ屋根の下で暮らしていきたい。それだけです。
少なくとも、子どものためにも私が余命であるといわれる、また、次女が独立できる年になるあと20年後までは。
40代/男性 | 日付:2008年8月30日(土) 18:57 JST | 閲覧件数: 2,023
begonianさん・・・・過去の大病を抱え 壮絶な人生を乗り越えてこられて 頭が下がります。
しかし 法律は 無情なもので なかなか気持ちの問題とは又別に 法の立場から断裁をします。
その点で考えると 文章の中から 数えるだけで 暴力は3回あります。
もちろん これを許すか許さないかは 奥様次第ですが これも許さないから離婚なのでしょう。
奥様が此処まで行動されている事はかなり本気で すでに弁護士を頼まれている以上
法律問題に移行している事を 表しています。
こうなれば 私共のカウンセリングという仕事で 口は挟めません。
昔と違い いかなる理由があっても 今の時代、暴力を振るう人に法は味方してくれません。
何よりも 奥様が弁護士を付けてきている以上 こちらも弁護士を付けないと
素人で戦う事は無理だと思います。
できれば begonianさんも 弁護士をお付けになる事をお薦めいたします。
しかし それは逆に 常識的な希望は聞いてもらえますし お子様にも会えるよう面接権も
主張できるようになるので 落ち着く所に話しは収まるでしょう。
但し 医者に掛かっている時は まずお身体の調子を整えることが 第1ですので
治療も平行して 取り組んでください。
この先の長い道のりは大変だろうと思いますが まず先にbegonianさんが
しないといけない事は 健康を取り戻し 地元の弁護士の所に 一日も早くご相談に行ってください。
頑張ってください 応援しています。
回答日時:2008年8月30日(土) 20:07 JSTお礼のコメントを書く
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