「違う」という部分の発見(心の話)

 

 

普通は夫婦で長くいると 相手が何も言わなくても解るようになるとよく言われます。
時々テレビで見る仲のいい夫婦は 殆どツーカーというか 阿吽の呼吸で、生活をしているようです。
しかし そこまで行く夫婦はごく稀で、殆どの夫婦はなんやかんや言いながら もっといえば、パートナーを疎ましく思う部分もありながら 生活をしている夫婦が殆どのようです。
でも、お互い、なくてはならない存在で在る事は確かです。

別に絵で描いたように仲が良くなくてもいいのです。
一生、共白髪で仲良く、なんて理想ではありますが 本当に長持ちする夫婦は たまには喧嘩もして
波があるくらいの方が普通です。

でも中には一緒に暮らせば暮らすほど、相手が分からなくなってきたという人がいますが、私がどこが分からないかと聞くと そこにはたいてい答えがあります。
つまり 解っているのだけれど それは自分の考える事と違うという事です。
だから 何を考えているのかわからないという言い方になるのですが これは解らないというより自分の方程式に当てはまらないから理解が出来ないという風に捉えた方がいいでしょう。
夫婦は長くいればいるほど 理解が出来るようになると言うのは そういう部分もあるでしょうけれど、実はまったく「違う」という部分の発見でもあるのです。
若い頃はうまが合うと、何となく考えていたことが 結婚生活も長くなるとお互い遠慮をせず、違う所は違うと感じる事が許される時になったと考えるべきです。
これこそが 夫婦に遠慮がなくなったということですから ある意味夫婦長続きが出来ているという事になります。

気が合わない
考え方が合わない
価値観が違う

これはある意味当たり前と考えた方がいいのかもしれません。
心が合わないと感じるのは 合わないと言う所からスタートした方が 腹が据わっていいと私は思います。
また次回は もう少し掘り下げて行きたいと思います。

もっと見る

Clip to Evernote
このエントリーをはてなブックマークに追加

新規会員登録

私が「悩み辞典の使い方教えます。」管理人さんに相談はこちら