創作話  子どもを体験してみて

  • 2010年8月 7日(土) 16:59 JST
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心理トレーナーの川崎です。

前回に続いて、今回も創作話です。
何かのヒントになれば嬉しいです。



<妄想日記(すべてうそ日記)>


先日外を見ていたら、近所に住む勇太君(仮)が
同じく近所に住む香織ちゃん(仮)と
追いかけっこをしている光景が飛び込んできた。

ほのぼのとした光景を眺めていると
なんと勇太君は、どさくさに紛れて、
香織ちゃん(仮)のスカートをめくったのだ。


このくそがき!!


別に香織ちゃんのスカートの中を見たことに対する
ヤキモチで腹を立てているわけではありません。



そういう行為を恥ずかしげもなく簡単に出来る彼に対して
嫉妬をしたのかもしれません。

思い出してみると、
幼いころはどんなことでも照れもなく普通にしていた行為。



無邪気になれないのは、それだけ大人になったからだ・・・。
年齢なんだろうな・・・・なんて思っていたとき。


勇太君と眼があった。
そして彼はニコッと微笑んだような気がした。





数日後、
家のチャイムが鳴り出てみると、勇太君が玄関に立っていた。

「なに??」

僕が聞くと、勇太君は

「変わってあげるよ。。」

そういって、戻っていった。




それからさらに数日後、

いつも感じる二日酔いの気だるさがなく目が覚めた。


熟睡した!!

そう感じながら、顔を洗いにいくと、妙な感覚


顔がモチモチしている。

確か髭そっていないはずなのに・・・・・


イソフラボンの化粧水が効果を発揮して、
ヒゲが薄くなってきたのかな・・・・


そう思ったとき

母親の声が聞こえた。


「ゆうた~~学校に遅れるよ~~」


???????



僕は本当に勇太君と入れ替わってしまったのだ。

もちろんすぐには受け入れられず、

仕事のことも気になるし、
どうしようかと頭がついていけなかった。


流されるまま学校に行き、こんなに簡単だったのか・・
と思いながら授業を聞き一日が終わった。



「今日のお前面白くないぞ!!」

友達たちから言われた。

当たり前やん、おれ33歳やで~~

そう思うことで、ガキんちょ達とは一線をおいていた。



でも若返ったんだから
一度試して見たかったこと。。



香織ちゃんのスカートをめくって見よう、


・・・・。


なぜか、ひどく怒られてしまった。



なぜ???





そんな疑問を持ったまま家に帰ると
勇太君と入れ替わった僕が、
近所の子供達と、泥遊びをしていた。


時々怪獣になって、やられたりもしていた。

なぜか違和感もなく、とてもなじんでいた。




そっか!!
子供になってみて分かった。

せっかく子供になったのに
大人なんだからという感情が邪魔をして
うまく楽しめなかった。


少年の心を持ったままの大人の
(僕と入れ替わった)勇太君のほうが楽しそうだ。

これは年齢なんかじゃない。。



テレとか大人なんだからという枠で
自分を固めていただけなんだ。。

無邪気で好奇心をもって楽しんでいると
こんなに楽しそうに見えるんだ!!。



そう思った僕は

勇太君に元に戻ってもらえるように
お願いして見ようと思った。


その前に一度、みんなと一緒に泥遊びをして見よう。

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創作話  「お店オープンしました。」

  • 2010年8月 1日(日) 23:53 JST
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心理トレーナーのかわさきです。

今日のコラムは、オリジナルの創作です。
何か感じてもらえると嬉しいです。





人の喜ぶ顔が見たい!!


そう思い続けていた僕は、ついに念願のお店をオープンした。



人と同じことをしても
同じものを扱っても面白くない。
人の笑顔を見て僕も喜びたい。。
そう思った僕は、扱う商品、お店のコンセプトを考えた。



どんなものを扱えば人は喜ぶのだろう。。
来てもらう限りは、やっぱり満足してもらいたい。


そして継続的にお店を維持できるものを扱っていたい。


なぜなら
急にお店がなくなったらお客さんに迷惑がかかるし
流行廃りでお店を作っても継続する自信がなかったからだ。



色々考えた結果
ひとつのアイデアが浮かんだ。


そのアイデアを形にするため、僕はかなりのリスクを負い
悪魔の契約を締結した。





欲望を扱うお店。


僕の作ったお店は、何でも手に入る。










権力


学力


不老不死


欲望を満たす為、ありとあらゆるものを取り揃えている。




ある人が邪魔だと言えば、その人を抹殺することも出来る。




・超大国の大統領になって、
核兵器のボタンを手に入れたもの。


・世界中の石油を自分のものにしたもの


・多くの人に悲しみを負わせる力を持ったもの


・酒池肉林のような生活をしているもの


・一国の経済を麻痺する大量の為替を操作したもの





すべて僕のお店のお得意さんになった。

しかも
人の欲望はとどまるところがない。



おかげさまでこの欲望ショップは大盛況


しかし不思議と自分のことばかりで
誰かのために・・・というお客はいなかった。





欲望を叶えた人からは、たくさんの笑顔をもらった。


欲望を叶えた人からの
笑顔が見れたからいいや。。



そう思い続けていた。




ひとつの問題が起こるまでは・・・・















客が増えるにつれ、
お店の前のゴミ箱がいっぱいになり始めた。



店で購入したもの以外に、それぞれが持ち込みで
ごみを持ってくる人も増加した。



このお店から出るごみは、かなり汚い。
触るな危険と表示されている。




ひがみ


ねたみ


虚無感


怒り


脱力感


執着




これら多くの生ごみが捨てられた。





捨てた後
再び欲望を購入していく。

店の売り上げには全く問題がないのだが・・・



これらごみは分別されていないため
さらにヘドロと化し、周りに悪影響を及ぼしていた。。




当然そのままでは引取りされないため
僕は、忙しい時間のなか分別していった。






ある日考えた。

ゴミ箱を置かないでおこうか・・・・



でも販売した限りゴミ箱を設置することは
義務だと思った。







そうだ!!!





細かく分別して捨てて来る人には、ポイントをあげよう。

きれいに洗浄してリサイクルできた人には
さらにポイントをあげよう。

ポイントがいっぱい溜まった人には
ささやかなプレゼントをすることにした。




ポイントを稼ぎに来た人は
本当にきれいに分別を始めた。


大きく分別する人。

さらに細かく分別する人。

面白いリサイクル案も教えてくれた。


きれいに分別をされるので
僕は本当に助かった。








しかし・・・・・




ごみが分別され、協力者が増えるにつれ、
欲望商品の売り上げが激減した。




お店の欲望が全く売れなくなってしまった・・・・




継続的に維持できるようにと考えた商品だったのに
お店を維持することも困難になった。




しかし客足が減ったのではないことに気がついた。


お得意さんは何も買わないが、
うだうだと世間話に来るようになったのだ。



彼らの多くは
欲望商品を購入したときの笑顔とは、明らかに違う
笑顔をするようになった。。




話を聞いてみると
ごみを整理しているうちに
ごみをうまく有効活用できる方法を思いついたそうだ。




自分の中にあるものに
ごみなんてない。


欲望を提供するのではなく
逆に欲望からでるものを預かりリサイクルをするほうが
たくさんの笑顔を見ることが出来た。






そう思った僕は、欲望のお店から業態を変え
みんなが分かち合い
ウダウダ言いあえる何もない空間だけの部屋として
リニューアルすることにした。




現在このお店にはゴミ箱なんて必要ない。
そして、室内は心地よい笑顔で満ち溢れている。


僕の求めていた笑顔は
これだったのかもしれないと思った。

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迷ったら「優しい」を選択する

  • 2010年7月23日(金) 01:03 JST
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心理トレーナーの川崎です。

久しぶりのコラムとなります。

タイトルに書いた「優しい」とはなんだろう??

同情することでも甘やかせることでも
贔屓をすることでもないと思っていて、
労りとか気を配ることとか、共感することだと思っています。

これは私の思っていることだから
人によって優しさ解釈は違って当然なのですが

私が思う優しいというのは、人に嫌われたくないという
自分を守るための行いではなく、
相手の目線に立って時には厳しく、
それでいて力強いものだと信じています。

優しくなれる人は自分を甘やかせる人ではなく
自分に厳しい人でいたいと思っているのです。

そんなことを思ったのは
ある雑学を思い出したことがきっかけ。

ドラえもんに出てくるジャイアンを
知らない人はいないと思いますが、
彼には正式な名前があります。
剛田 武【ごうだ たけし】

そして彼には妹がいてて
ジャイ子と呼ばれています。

では彼女の正式な名前は??

・・・・・??

実はないんだそう。

作者である藤子F不二雄先生は
ジャイ子には正式名をつけなかったらしいです。

理由は、その名前の女の子が存在したら
きっと苛められると思ったから。

この話が本当かどうか分かりませんが、
だけど本当なら、すごく優しい人だと思いませんか?

優しさと共に温かさ人柄、
人間の大きさを感じたのですが、
相手のことを思い生まれてくる優しさには
自分の意思で決めたことなので
責任感のようなものも感じることが出来ると思っています。

相手のことを思った優しさは、
常に先を読み、更なる優しさへと広がりを持てると思うのです。

少し難しい話になりましたね。

それと違って、何か不祥事が起こって、
その問題を処理するときに取られる対策。

例えば同じ、<ジャイ子>という名前から例えると
ジャイ子に本名をつけると
学校関係者から苦情が起こるかもしれない。

もしそんな問題回避のために取られたことなら
それは優しさじゃないように思っています。

優しさじゃなく自分を守るためだから、
思いに自分の信念がなく
トラブルが起こったときには
それを防ぐためだけに集中し、その先が見つからない。

今の社会がそんな感じ。
世間体や社会の目を気にして
それを防ぐために取られる防御に神経を尖らせ、
いざ問題が起こると責任の所在を怖れる。
そしてその問題だけを防ぐ工夫をするけど
また違う問題が起こるかもしれないとビクビクする。

やっていることに優しさがないような気がしています。

ビクビクよりウキウキ・ワクワクのほうが
絶対にいいと思いませんか?


これから迷ったり、何かをするときには
優しさのみを優先事項にして
優しさがあるかないかで選択してみてはいかがですか?
それは自分で決めた信念だから
何かあっても自信を持って応えることが出来るし
さらなる優しさの発想を持って
より良い方向に広がりを持てると思っています。

迷ったら相手に対して優しいと思うほうを選択し、
くれぐれも自分に対して優しいと思う選択はしない。

そんなことを大切にしていたいと私は思っています。

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ぼろは着てても心は錦という生き方

  • 2010年6月30日(水) 01:44 JST
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心理トレーナーの川崎です。

前回に続いて諺シリーズです。

過去の思い出より。。

高校では、農業を学んだので泥汚れを多く体験してきました。
数学や英語の授業は、週に2時間しか学ばない代わりに
畜産や作物といった講義のほか、牛・豚・鶏の飼育管理、
田植えや稲刈りといった作業を数多く学んできました。

その当時は本当にドロドロの高校生でした。
そして私だけでなく、仲間全員が普通に糞と格闘していました。

放牧している牛のフンを集め
時には田んぼに糞を発酵させた肥料をばら撒く。
そんなことを繰り返すので
全校生徒が必ず通る下駄箱に入れている地下足袋は、
異臭を放ち、農業科の近くに来ると普通科のみんなは
鼻をつまんで通っていく。

入学当時は、
すごく恥ずかしく嫌な気持ちでいっぱいでしたが
慣れとはすごく恐ろしいもの。。
田んぼ作業の後は、汚い水路で足を洗うこともできたし
作業着に動物のフンがついてもなんとも思わなくなりました。

逃げた牛を捕まえるために飛びついたら、
フンの混じった土にダイビングし笑い話ができたし
乳搾り中、嫌がる牛に顔を蹴られたら、
後足に付着している糞が顔にスタンプすることもありました。

そんなフンだらけの毎日でも笑うことができた事を思い返しています。



そして、・・・すっごく話が飛んで




私は旅に出ているときは、かなり汚い格好をしています。
泥だらけになっても平気だし、シャワーを浴びれずに
頭がパサパサなときもある。
ドロドロに汚れ臭い体でも楽しいし、
笑いが多いように思っています。


・・・で何がいいたいかというと
汚れる行為って本来楽しい事だと思いませんか??


小さいころの泥遊びは、楽しかったし
雨の中、水溜りに入りビチャビチャになるのも楽しかったし
山登り中、滑ってお尻に泥がついたら楽しかったし
服のままなのに海に落とされ、びちゃびちゃになったり
服のまま田んぼに落ちて汚れてみたり。。

最初は抵抗しても、
いったん汚れたら吹っ切れたようになり、
とても楽しい光景が思い浮かんできます。



これを普段の生活の中できるかっていうと
すごく抵抗しちゃうだろうし、
お気に入りの服に鳥のフンでも落ちてこようなら
一日最悪な気持ちになるだろうと思います。


先ほども書いたように、私は汚れることに対して
全く苦と思わない経験をしてきた・・・つもりですが、
着ている格好によって全く対応が違うと思っています。


洋服って何なんでしょうね??

綺麗な洋服を着ている時って、
どういう人でいたいのでしょう?

自分を引き立てるものであるはずなのに
行動や感情を制限しているのなら考えなければいけません。

おしゃれは否定しないし、服はすばらしいものだと思っています。

でも人って汚れている格好をして
泥だらけになっているときのほうが
無邪気で自然体になれるような気がするです。。

この違いって何なんでしょう?

本当はどういう生き方がいいんでしょう?


あらためて「ぼろは着てても心は錦」
こういう生き方も大切なことなんじゃないかと思うのです。
あなたは、どうですか?


変な例えですが、葉っぱをつけていたときの時代のほうが
みんなありのままで生活していたと思うのです。

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棚からぼた餅という生き方のススメ

  • 2010年6月24日(木) 00:01 JST
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私はこの言葉が大好きです。

確か中学校の卒業文集のタイトルで
棚からぼた餅の精神で生きる
と書いた記憶があります。

当時の気持ちとすれば、何もしないで、
鳥の雛のように口をあけていたら
母鳥が餌を口に入れてくれたらいいな。。。
と思っていました。

完全に受身の状態です。

実際に、そういう状態になった時は
ラッキーとか、たまたまという
ありがたみのない言葉で片付けていました。


そのくせ、今日は運が悪いな・・・
うまくいかないな・・・

なんて思うこともあり、
棚からぼた餅に期待しすぎている自分がいたように思います。

結局、こういうことを思う自分って
ただ毎日に流されているだけだ!!って思うようになりました。


やはり、こういう待ちの状態は楽しくありませんし
感動もありません。


そこで意識を変えてみました。

「棚がなければ、ぼた餅も落ちてこない!!」

ラッキーとか運がいいで片付けないように意識を変えてみると
棚からぼた餅という言葉は実はとても深い言葉に変わります。


何かいいこと起こらないかな??と
棚からぼた餅を願っているのなら

一度、その棚を作っているのか意識してみましょう。

あなたの願う棚はどんな棚ですか?
どんなものが落ちてきそうですか?
きちんと手入れをしていますか?

せっかくぼた餅が用意されているにもかかわらず
やることをしなければ棚がない為に落ちてこないのです。


いつの日か
ぼた餅が落ちてくることを楽しみにしながら
準備は怠らない毎日を過ごしたいですね。

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辛い話は宝物

  • 2010年6月18日(金) 14:00 JST
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出来ることなら毎日を平穏無事で幸せに暮らしたいと思うのは
きっと私だけではないでしょう。

ところが中々、そんなことには巡りあえず
日々自問自答し、現実とのギャップにもがきながら生きています。

もし仮に恵まれた何不自由ない生活しか経験の無い人生はどうなんだろうと
思うときがあります。
しかし、周りから見れば、幸せな生活をしていると思っていても
本人からすれば狭い籠に閉じ込められたと思うかもしれません。

わけの分からない話から始まりましたが、
幸せというのは、実は基準など無くて
その人の感じ方で幸せと不幸せが決まると思っています。

で、厳密に言えば、私は幸せも不幸せも無いと思っています。
それは、過去辛い経験をして不幸せだと思っていても、
その経験があったから、大人になったとき役に立っていると思うことが出来れば
幸せの源泉という宝物を手にしていることになりますよね??


話しを少し変えますが、

あなたは、何かアニメや小説、
テレビや映画を観て感動をしたことがありますか?
もし無いなら、なにか感動する話を思い出してください。

感動する話には、必ず一度か二度辛い経験が含まれています。

貧困
別れ
病気
災害
暴力


こんな経験なんて、出来ることならしたくありません。

だけど感動ストーリーというのは、これらの経験をどう処理したかで
物語が出来上がるのです。


これまで一度も辛い経験なんて無く、
「毎日悠々自適に暮らしましたとさ。」
なんていう、話を聞いても面白くもないと思います。

ということは
いまの時点で辛い経験をしたのなら
ストーリーの一番重要な鍵となるモノをすでに手に入れているのです。
あなたが経験したお話は、唯一あなたにのみ語ることの出来る財産です。

こればっかりは、手に入れることの出来る人とそうでない人が存在します。
いまは辛いと思いますが、
あなたは感動できるストーリーを作る人生だと認められた人だと思うのです。


しかし、
ずっと辛く悲しいお話のストーリーは、誰も賛同してくれません。
どこかで変化があるからこそ引き込まれるお話しが作れるのです。

これは人生の晩年になればなるほど、
上がったり下がったりといった緩急があればあるほど面白いお話になります。


あとは今後のストーリー作りです。
終わりよければすべて良しというコトワザが示すとおり、
どういう人生として終わるかにかかっています。


例えですが、
パナソニック創業者の松下幸之助の有名なお話として低学歴があげられます。
彼がもし犯罪者になってしまっていたのなら、
やっぱり生い立ちが悪いから仕方が無いよな・・という結末になります。

しかし彼は奮起して様々な困難を乗り越え一代で成功したからこそ
小学校しか出ていないのに・・・という美談になったのです。

超エリートで何不自由なく暮らしていた人が同じことをしても
いまほど美談にならないと思います。

このように、感動ストーリーを作るためには要素があるのです


さて、あなたは人生の物語の主人公として、もうすでに小説を描き始めています。
背景も多少描かれているのではないでしょうか?

これをどんなストーリーとして完結するのかは、まだ分かりません。

しかし、いま辛い経験が宝物になることを信じて
すばらしいお話を作りたいものですね。

嫌なことがある度、宝物が増えたと思いながら
ネタ帳に記録しておけば楽しくなるかもしれませんよ。


ネタを上手く整理できないとき、
相談していただければ一緒に整理していきたいです。

ぜひ、あなたの宝物を聞かせてくださいね。

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感情というウイルス

  • 2010年6月16日(水) 01:49 JST
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心理トレーナーの川崎です。

今日は感情の話です。


空気中には様々な病原菌ウイルスが浮遊していますが免疫のおかげで
体が弱っていない限りそう頻繁には病気になりません。

おなじく、空気中には感情というウイルスも蔓延しています。

どちらも見えないので気が付きませんが、
いたるところで感情ウイルスが浮遊しています。



例えばこんなことありませんか?

すごく楽しく友達と話していたのに
嫌な上司、苦手な友達が部屋に入ってきたとき
居心地の悪い空気に変わってしまったことを・・・

逆に
イライラして部屋に入ったら
みんながあなたを病原菌のように避けて逃げてしまった。

これは感情ウイルスが空気に大きく影響を及ぼした状態です。


空気中に浮遊する感情ウイルスは強烈です。
簡単に人に感染しますし
常に変異を繰り返します。

これまで経験した同じような感情だと思って安心していたら
一番弱い部分を突いて進入してくることで感染しちゃうこともあります。
その結果、命を絶ってしまう人も存在します。

しかし
たいていの感情は免疫があれば跳ね除けられますので、
毎日のうがい代わりに、常に心をいい状態にして過ごすことで穏やかに過ごせます。


ところが、あなた自身がウイルスを撒き散らすこともあります。
何気ない言葉が新種の未知のウイルスだったということもありえます。
ですから、あなたにも感情ウイルスが存在しているんだということを知って
相手を病気にさせないためにも、
手洗いの代わりに「心洗い」をしてから人とかかわりましょう。

時には厄介な心の汚れがあります。
そんなときは、石鹸代わりに私たちに相談をしてみてください。

あなたがイライラしたままだと、簡単に感染してしまう人もいるということを
心のどこかで意識しておいてくださいね。
あなただけのためじゃなく、
周りを病気にさせないための心遣いも大切ですよ。


心の洗濯のお手伝いさせてくださいね。

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受け取りを感謝してみる

  • 2010年6月 9日(水) 01:18 JST
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心理トレーナーの川崎です。


みなさんは「ありがとう」という気持ちで毎日を過ごしていますか?

私の経験ですが昔から
「ありがとう」は、とても大切な言葉だと思っていたから
意識的に言おうと思っていた時期がありましたが
習慣にならなかったことがあります。

もちろん今は言えているのですが。
どういう心の変化があったんだろうと思いながら
根っこを探ってみました。

分かったことは、
どうやら「ありがとう」って言葉が出る源泉は
嬉しくて仕方がないと思う気持ちなのかも知れないことです。


これまで当たり前のように思っていた気持ち。

・何かをすれば相手から感謝をされる。
・何かをすれば見返りが戻ってくる。
あたり前が前提で物事を進めていたように思っています。


当たり前と思っているから、
その通りにならないと感情が揺れていたようにも思うのです。


最近の気持ちの変化は、何かをするということは、
その何かを受け取ってくれる相手がいるからこそ
出来る事だと思えるようになったことです。


相手に何かしたいという気持ちが発生したとして
その気持ちを叶えるために行動を起こします。


それを相手が受け取ってくれただけで、
自分の何かしたいと思った感情は満たされて
喜びに変わっていきます。

ここに発生する言葉が「ありがとう」なんだろうと思えるようになりました。


さらに、この満たされた気持ちに加え
相手から喜んで頂いたら
喜びの相乗効果となって、さらに嬉しくなってしまいます。

送ったのはこちらかもしれないけど
それ以上のものを頂いた気持ちになるのです。


そんなことを思うと、
何かをしたと思うのではなく、
何かをさせてもらえた。


与えたのではなく、
受け取ってもらえた。


メールを送ったではなく
メールを見てもらえた。


電話をかけたのではなく
声を聞かせてもらえた。


話を聴いてあげたではなく
話を聴かせて頂いた。


すべて自分の行為は相手がいてこそ、
相手視点で考えると、
すごく満たされた気持ちになれると思いませんか?



感謝の言葉は、謙虚からって思っていますが
謙虚であるためには、
すべて「頂いている」という思いが
とても大切なんじゃないかと思います。


そういう頂いているという思いが感謝を生み続け、
満ち溢れた気持ちになり
たくさんの人に伝わり続けると思います。


自分がいただくためには
まず「感謝」という気持ちを大切にされるといいかもしれませんね。


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専門家として3ヶ月が経過して振り返り

  • 2010年6月 1日(火) 03:11 JST
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心理トレーナーの川崎です。

今回はコラムではなく、自身の振り返りです。
人は常に学び続けることで人生が充実すると思っていますので
私の素直な気持ちのおすそ分けと感謝です。


メンタル系の専門家として登録させてもらい
相談に答えさせてもらってきた。

無料相談を受けることは、正直自分の収入には繋がらないけれど
大切な思いや悩みを共有していただけることは、
とても光栄なことだなぁと感謝している。

私はプロフィールにも記載しているが、
これまで、ひとさまに自慢できる経歴など何もなく、
泥臭い人生を送ってきた経験からくる学びと気づき、
その学びを裏付ける心理的技術をしかもっていない。
そんな私の元に、
20代で当時の自分よりも考えが大人な姿
様々な日常を戦っている人たちの姿

様々な方から相談をいただきながら、
みんな凄いのになと思うことが多い。

私は、すべての人には伝えられるものがあって
すべての人には価値があると思っている。
それを誰かと比べたりして、
人とは違っているから自信をなくしてしまっているだけだと思っている。

私は、これまでどんな経歴であれ、
その人の財産だと思っているから
その財産に気づいて欲しいという思いで一杯だ。
だからいつも思っているのは、みんなすごいのに
私などがアドバイスするなどおこがましいとさえ思っている。

もちろんプロとして仕事をしている手前
どんな場所であれ真剣に関わらせてもらってはいるが、
やはりアドバイスという形は取りたくないと思っている。

この部分は悩み辞典に相談に来られた方の思いに反することで
疑問に思われるかも分からないが、たった一回の相談文章の中から、
どういう人なのかどういう背景なのか分からないにもかかわらず
自分の経験から勝手な解釈で判断せざるおえないアドバイスは、
その人の人生に対して無責任な対応だと思っている。。

例えば、ABCという3つの選択肢があったとする。

そこに私などのちっぽけな経験や知識から
Bがいいですよと伝えBという選択肢に導くことは
本当に相談者のためなのかと自問自答する。

私の経験の場合Bでよかったけれど、
相談者にとっては結果として良くないことかもしれない。
もしかして相談者が長い人生を振り返ったとき、
やっぱりあそこはAだったよな。と思うことになるのなら
Bと伝えた私は相談者の人生に後悔を残すかもしれない。
もちろん選択をしたのは、相談者でしかないが
きっかけを与えたのは私になることになる。
では責任が取れるのかといわれても、
やはり人生の責任は取ることが出来ないように思う。


だから、それくらい重要な出来事に繋がるのに、
ただ心理的技術を持っているからといって
安易に人生経験も少ない私などが選択に関与してはいけないと思うのだ。

相談を受けながら、
何らかの答えや選択を導いて欲しいんだな。という欲求を感じることはある。
人に選択をしてもらって、その通りに進んだほうが楽なことも知っている。

だけど、多くの人が幼いころから人に選択をされて歩んできた。
その人生の結果から生まれたのが様々な相談事だとしたら、
ここでまた選択を提供していいのかと思うのだ。


人は自分で決め、自分で考え、自分で進んでいく。

私はそんなお手伝いがしたいと強く思っている。

最初に書いたけれど、みんな素晴らしい人だと思うからこそ
自分の中にある本当の価値に気が付いてほしい。
そのためには、自身で選択していかなければいけないと思うのだ。


好かれるための、アドバイスならいくらでも書ける。
しかし、ほぼ一回きりの繋がりでしかない相談者に対して
私の思いを届けるには、より多くの時間相談者が
自身の頭の中で考え続けることの出来る問いを
投げかけるしかないような気がする。

この3ヶ月、
安易に集客に繋がれば良いなと思いながら始めた登録だったが
既存のクライアントさんのように、
長期的にかかわりながら関係を作るパターンとは違うので
とても集中した思いで関わらせてもらえていると感じている。


今回、これまで相談していただいた方々から、
私はこのような振り返りと学びをいただいた。
だから相談者の方々は、
「専門家を名乗っている人の学びを提供したんだ!!」という実績を糧にして
毎日を力強く生きて欲しいと願っている。
そんなお手伝いなら、私は喜んで協力していきたい。

これから半年、一年とこの場で関わらせていただくことで
どのような学びや気づきが生まれるのか
相談者の相談に真剣に向きあいながら関わりたいと思うのだ。

感謝

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関係作りは空気作り

  • 2010年5月28日(金) 14:50 JST
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心理トレーナーの川崎です。

いきなり、ひとつワークを提案します。

今ここで息を止めたとしたら
どうなっていくでしょう?
息を止めてみてください。



どんな感想を持ちましたか??

息苦しくて続かない・・・。
当たり前のことだけど、きっとほとんどの人がそう思うでしょう。
中には息を止め失神して
気持ちよくなる人はいるかもしれませんが
普通の人は苦しくて仕方がないと思います。

この息苦しさは、
息を止めなくても日常よく起こる現象だと思いませんか?

思い出してみてください。
居心地の悪い場所にいるとき
自然と呼吸が浅くなり息苦しい感じをしたことありませんか?

自分が発する呼吸に違和感を持ってしまうから
どこかいつもと違う状態で人と接するわけですが、
そんなときは
深呼吸をするだけで、不思議とリラックスし、
なんとなく場が変わったような気がするものです。

これはすべて眼に見えない空気が関係していると思っています。

そんな大切な場に流れる空気。
生きるための呼吸としても大切だと思いますが
感覚的に人は
気楽に空気の吸える場所を探していると思っています。

さて、あなたにとって
一番おいしい空気を吸える場所はどこでしょう?
そしてどんな空気を吸っていたいのでしょう??



懐かしい空気
ピリピリした空気
まったりした空気
安心できる空気


なんとなく
色々な味の空気の吸っても良いのではないかと思いますが、
不思議と美味しい空気を求めようとしてしまいませんか??


それなら
その空気を一緒に味わいたい人はどんな人でしょう?


家族だったり
恋人だったり
学生の仲間だったり
職場だったり
たった一人かもしれない。
人によって色々あると思います。

これはたぶん自分の中で求めている空気があるからで、

逆に自分に合わない空気だから・・・、
息苦しく感じるから・・・、
どうしても近寄りたくなくなり、
その場から離れたくなるように思うのです。

人間関係の疎遠ってこういうように起こりますよね。


息苦しいと思える場所は、最初の息を止める事と同じ。

だからといって
これからも自分が美味しいか美味しくないかで
空気の吸える場所を選んでいっても良いのでしょうか?
一生自分にあった空気を求めて移動し続ける人でいいのでしょうか?



もうひとつ言うと、
以前は美味しかったはずの場所の空気に執着し、
本当は当時とは空気が変わって息苦しいのに、
それを自分の勘違いだと思ったり、
当時と同じような空気にあるように求め、
無理をして吸い続けていませんか?
例えは悪いですが、毒ガスが発生していると自然に蓄積されますよね。
酸素ボンベを背負って、本当は美味しくない空気を誤魔化していますか?



空気作りは関係作りです。
自分にとっておいしい場所を求め探す力も大切ですが、
自分がおいしいと思える空気を吸うには
どのような空間、関係になればいいのでしょう??

なかなか人間関係の違和感は気づかないことがあります。
そんな時、呼吸に意識を向けてください。

あなたの今吸っている空気は、
どんな感じですか?

どうすればおいしい空気の吸える環境に出来るか
人間関係を見直す時期のきっかけになると思いますよ。

対話
人間関係
そしてそこから発生する空気は繋がっています。

ぜひ意識して感じてみてください

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