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過去のトラウマが頭から離れず生きるのが辛い

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30年前のことでずっと苦しんでいて、死にたい気持ちが強いです。
大学浪人をしていたのですが、1988年、2浪が決まった直後に母から予備校に行くお金はないと言われ、その数日後に新聞を読んでいた母がたまたま新聞奨学生の募集広告を見つけて勧められました。
私は「こんなことしながら受験勉強できるほど受験は甘くない」と怒りながらキッパリと言うと、数分後に母から「だいたいあんたは根性がないねん」と言われ、その言葉で変なスイッチが入ったというか、新聞奨学生をしないといけないという気持ちになって、じっくり話し合うこともなく始めることになりました。

どうせならと思い、1浪の時の通っていた駿台予備校大阪校ではなく東京の駿台の早慶コースにしました。東京に行くと翌日には新聞屋店舗の配属と予備校への学費納入があって、やっぱりやめるという訳にはいかなくなり、とにかく頑張るしかないと思いましたが、5月にはこのままではまずいと思い始め、6月以降、何度も実家に電話して、新聞奨学生をやめさせてほしいと頼んだのですが、10月末まで止められず心が折れて受験を諦めました。朝夕刊の配達等でそれまで勉強する時間がなかったので、辞めて実家に帰った11月ではもう手遅れでした。2浪目は受験しませんでした。
ちなみに、1浪の時の受験結果は、同志社と関西大学は共に500点満点の入試で、同志社は合格点より8点足らず、関大は4点足らずでした。それを考えると、2浪目も普通に予備校通っていたら、2浪目ということでかなり堅い所も受けただろうし、絶対にどこかの大学に合格したと確信しています。

親を悪く言うのは大人げないし、気が咎める所はありますが、なんでこんな親に当たったんだろうと毎日考えます。もっとも、そういう想いはギャンブル中毒の父親に対しては小学生の頃からありました。
29年前から常に考えることは、母が新聞奨学生を勧めなかったら、受験結果に関わらず、ここまで苦しみ続けることはなかったということで、最低限の納得はできたと思います。勉強したくても新聞奨学生のために時間がなく、心が折れて受験を諦めるというのは最悪の諦め方だと思います。

その後、受験を諦めて20代から30代初めにかけては友人や親戚に誘われると出掛けていましたが、それ以外はほとんど家で落ち込んで寝込む日々で、仕事と言ってもバイトを数回した程度でした。この30年間、気分的には今ほど落ちていない時もありましたが、当時のことを忘れた日は一日もありません。長年、常に心に引っかかり、親への怒りや絶望感に苦しんでいます。

一昨年、昨年と福祉施設でパートで働いていた時期もありますが、脳や体の衰えでうまくいかず辞めました。気力や経済的なことなど、先のことを考えると死ぬしかないと思っております。

文章ではこの想いをなかなかうまく伝えられませんが、うちはいわゆる「機能不全家族」だったので、子供の頃から精神的に辛いことが多く、そういう負の想いを大学受験(進学)することでチャラにできると思い、唯一の希望でしたが、前述の事情で諦めました。他人が聞くとそんな昔のことなのにと思われそうですが、大学受験(進学)は一生にかかわることで、新聞奨学生をしたせいで諦めないといけなくなったのは私にとって精神的に殺されたも同然でした。これをトラウマと呼ぶのかわかりませんが、本当に苦しみが続いています。

今の私にはこの先も生きようと思えず、苦しみから解放されたいと思っています。こんな内容ですが、お答えくだされば幸いです。

| ぱぶやん / 40代 | 男性 | 2018年8月12日 17:41 JST |



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