●なぜあえて困難なほうの人生を選択したのか

●なぜあえて困難なほうの
人生を選択したのか



倒産して再建社長の指名を受けた時
正直「これはヤバイ」と思った。

再建が容易に出来るくらいなら
倒産はしていない。

その当時30才だったが
40才になって50才になって
再建が失敗したら
自分の人生は破滅する。

またそこから
更に苦労の人生を歩むのか・・・

しかし「それは出来ません」と
指名を拒否できる大義名分もない。

何とか逃げ切れる方法は無いかと
寝ないで思案したが

そんなことは
出来るはずもなかった。

結局指名を受けることになった。

しかし自分の気持の中では
「10年の期限付きでやってみよう」
「それでも再建できない時は
土下座をして、許してもらおう」
と密かに思っていた。

●自分が「どう生きたか」を妻や子の
視線にさらさなければいけなかったから

再建社長の指名を受けたのは
迷走に迷走を重ねた上での結論だった。

しかし最後の決め手は
妻や子にきちんと説明を
出来るかどうかだった。

既に経済的には
破綻しているのだから

これからお金の苦労をすることは
家族は先刻承知している。

「これからの困難な人生を
お父さんはどう生きていくの」

「お父さん!これから私達を
どう引っ張って行ってくれるの」

口には出さないが
そう聞きたいことはわかっていた。

これからどう生きていくんだという
姿勢を問いかけていた。

商売が下手だから
失敗したのは間違いない。

努力もせず、甘い考えでいたから
こんな目に会ったことも間違いない。

だからありのままを
包み隠さず家族に見せなければ
いけないと思った。

そんな欠点の多い
親であり夫であることを・・・

とても尊敬してもらえる様な
立派な親でもなく夫でもないことを・・・

だけど逃げ出さないで
諦めないで

ひたすら頑張って生きていこう
としていることを・・・




自分の至らなさで
家族に多くの負担をかけたことは
いまもって慙愧に耐えない。

とにかく有らん限りの力を
振り絞って生きる努力をすることでしか
許しを得ることは出来ないと思う。

しかし自分の心に嘘は
つかなかった。

不出来な
夫であり親であったけど

何とか
逃げ出さないで生きてきた。

妻や子の私に対する通信簿は
恐ろしくて今は聞くことは出来ない。

自分の寿命が
尽きそうになった時でも

そっと耳打ちでも
してもらおうかと思っている・・・

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