●なぜ失敗社長経験をして生き方を変えようと思うようになったのか

●なぜ失敗社長経験をして
生き方を変えようと思うようになったのか



青天の霹靂での再建社長指名だったが
それを受け入れたのには幾つか理由がある。

指名を拒否して
再建と言う呪縛から解き放たれる
という選択もあった。

しかしそれは倒産した会社を
直ちに解散することに繋がるので
躊躇せざるを得なかった。

お金の損得では
全資産を処分しても
穴埋めできる状態ではなかったので
何かを残したいなどと
くどくど悩む必要はなかった。

再建を成し遂げて
周りから立派だと評価されたい
よく思われたい
そんな功名心もあった。

いま考えると
「1回は社長をやってみたかった」
というのも大きな
理由の一つだったと思う。

30歳で大きな決断をして
再建会社は兎に角スタートした。

それからの10年は失敗続きで
いま思っても
苦い思いのする経験
ばかりだった。

しかしそれまで
過信していた自分の能力が
ものの見事に粉砕されて
幾らか正気になれたことは
良い事だった。

◎ただ漫然と年を経ても
それで良い経営者になれたり
ちゃんとした人間になれるわけでは
無いと気づいたから

10年間再建社長をやったから
それで得たものは?
なんて問いかけられても
満足な返答は出来ない。

毎日毎日が初めての経験
初めての決断、初めての失敗

暮れになると
「あぁ何とか一年生き延びた」
と思った。

又一年又一年と
そんな時間を繰り返していた。

そんなことを
経験と言うのかと思った。

そんなことを繰り返していけば
何とか形になるのかと思った。

それは大間違いだった。
経験は年月だけでは決められない。

10年やったから
「それがどうなんだ」という
ことがわかった。

それがわかったのが
唯一の収穫だった。




若い頃には
60才を越えれば自然に
ちゃんとした人間になれる
のかと思っていた。

これも大間違いだった。

何にも気づかず
ただダラダラとした人生を
おくっていたのでは

ダラダラとした
人生の終末になってしまう
と言うことがわかった。

「経験への過信をせず謙虚に努力する」

今更ながらに気づく事ばかりで
何と無為な人生を送ってきたのだろうと
後悔さえしてしまう。

人生の残り時間で
果たしてどこまで修正は
可能なのだろうか・・・

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