ぼろは着てても心は錦という生き方

  • 2010年6月30日(水) 01:44 JST
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心理トレーナーの川崎です。

前回に続いて諺シリーズです。

過去の思い出より。。

高校では、農業を学んだので泥汚れを多く体験してきました。
数学や英語の授業は、週に2時間しか学ばない代わりに
畜産や作物といった講義のほか、牛・豚・鶏の飼育管理、
田植えや稲刈りといった作業を数多く学んできました。

その当時は本当にドロドロの高校生でした。
そして私だけでなく、仲間全員が普通に糞と格闘していました。

放牧している牛のフンを集め
時には田んぼに糞を発酵させた肥料をばら撒く。
そんなことを繰り返すので
全校生徒が必ず通る下駄箱に入れている地下足袋は、
異臭を放ち、農業科の近くに来ると普通科のみんなは
鼻をつまんで通っていく。

入学当時は、
すごく恥ずかしく嫌な気持ちでいっぱいでしたが
慣れとはすごく恐ろしいもの。。
田んぼ作業の後は、汚い水路で足を洗うこともできたし
作業着に動物のフンがついてもなんとも思わなくなりました。

逃げた牛を捕まえるために飛びついたら、
フンの混じった土にダイビングし笑い話ができたし
乳搾り中、嫌がる牛に顔を蹴られたら、
後足に付着している糞が顔にスタンプすることもありました。

そんなフンだらけの毎日でも笑うことができた事を思い返しています。



そして、・・・すっごく話が飛んで




私は旅に出ているときは、かなり汚い格好をしています。
泥だらけになっても平気だし、シャワーを浴びれずに
頭がパサパサなときもある。
ドロドロに汚れ臭い体でも楽しいし、
笑いが多いように思っています。


・・・で何がいいたいかというと
汚れる行為って本来楽しい事だと思いませんか??


小さいころの泥遊びは、楽しかったし
雨の中、水溜りに入りビチャビチャになるのも楽しかったし
山登り中、滑ってお尻に泥がついたら楽しかったし
服のままなのに海に落とされ、びちゃびちゃになったり
服のまま田んぼに落ちて汚れてみたり。。

最初は抵抗しても、
いったん汚れたら吹っ切れたようになり、
とても楽しい光景が思い浮かんできます。



これを普段の生活の中できるかっていうと
すごく抵抗しちゃうだろうし、
お気に入りの服に鳥のフンでも落ちてこようなら
一日最悪な気持ちになるだろうと思います。


先ほども書いたように、私は汚れることに対して
全く苦と思わない経験をしてきた・・・つもりですが、
着ている格好によって全く対応が違うと思っています。


洋服って何なんでしょうね??

綺麗な洋服を着ている時って、
どういう人でいたいのでしょう?

自分を引き立てるものであるはずなのに
行動や感情を制限しているのなら考えなければいけません。

おしゃれは否定しないし、服はすばらしいものだと思っています。

でも人って汚れている格好をして
泥だらけになっているときのほうが
無邪気で自然体になれるような気がするです。。

この違いって何なんでしょう?

本当はどういう生き方がいいんでしょう?


あらためて「ぼろは着てても心は錦」
こういう生き方も大切なことなんじゃないかと思うのです。
あなたは、どうですか?


変な例えですが、葉っぱをつけていたときの時代のほうが
みんなありのままで生活していたと思うのです。

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