●なぜ貧乏になったのに貧乏性を克服することが出来たのか

●なぜ貧乏になったのに
貧乏性を克服することが出来たのか



高度成長の波に乗って
父の会社は躍進に継ぐ躍進を
続けていた。

同業他社を大きく引き離して
寡占といっても良い位に
市場を制圧していた。

しかし分不相応な家を建てたり
社業に熱心にならなくなった
父の姿を見ていると

「こんなことで本当に大丈夫なのか」
という不安がよぎっていた。

その不安は現実になり
負債30億で倒産
会社も個人も全資産を処分する事になった。

家も土地も全てを売り尽くして
再建を試みたが

丸裸になった上で
再建会社も消滅するという
最悪の結果になった。

それまででも贅沢というほどの
生活ではなかったが

明日の暮らしに困るような
貧乏でもなかった。

しかしいつか
貧乏になるのではないか

いつかそこそこの
この暮らしは
終わりを告げるのではないか

正直びくびくして生きていた。
これを貧乏性というのかも知れない。

○それなりに生きればいいんだと
 気がついたから

形あるものも無いものも
全てを失ってみると
自分のこころの中は急変した。

私の後姿をみて
「あいつは落ちぶれた」と
いつも誰かに
言われているような気がした。

家も無い、土地も無い
通帳の残高も無い
正真正銘の貧乏には間違いないが
心まで貧乏になっていた。

明日食べる
米が無いというわけではない。

手元に一円の金も
無いというわけではない

以前の暮らしと比較すれば
豊かというわけにはいかないが
気持ちのほうが貧乏になっていた。

そんな私が
心を入れ替える転機になったのは
妻の暮らしぶりだった。

「絶対に幸せにするから」
と口説いて結婚した妻だったが

予想もしない夫の転落劇で
過酷な運命を共にすることになった。

もちろん家計は
火の車というよりも
大火災という状態だった。

そんな状況にも係わらず
愚痴一つ言わず
明るく過してくれているのを見て
「こんな生き方ではいけない」と
密かに決意をした。

お金があるときは
あるなりに暮らせばいい

お金が無い時は
無いなりに暮らせばいい

お金がない事を理由に
心まで貧乏にならないことだ。

貧乏生活だから
味わえる思いもある
気づきもある

だから今の不況も
そう辛くは感じない。

お金が無くても幸せに生きる
方法はいくらでもある。

むやみに不満を持つのを止めて
身の程をわきまえて生きれば
それは幾らでも見えてくる・・・


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●なぜ決断のストレスを乗り越える事が出来るようになったのか

●なぜ決断のストレスを乗り越える事が
 出来るようになったのか



30才で負債30億で倒産した
父の会社の再建社長になった時は

自分に何が出来るか
どれほどのことが出来るのか
皆目わからなかった。

だから社長を引き受ける決断は
そう簡単ではなかった。

失敗すれば
形あるものも無いものも
全てを失い
自分の人生は破滅するだろう。

指名を拒否すれば
会社は清算ということになり
直ちに多くの社員が
路頭に迷う事とになる。

私は卑怯者の
そしりを受けるだろう。

一晩寝る毎に
思いがコロコロ変わった。

迷いに迷った挙句に
誰にも話さず自分の心の中だけで
捻り出した結論は
10年という期限付きで
やるだけの事をやってみよう
ということだった。

そして再建がスタートして
10年が経った。

まるでテレビドラマの様に
40歳の誕生日の夜
再建会社を消滅させることを
決めることになろうとは・・・

何とも言えない
複雑な気持ちになったのを
今も覚えている。

●「取りあえず想い続ける」という
 選択肢もあることに気づいたから

30才で自分の力など
まるで分からないうちに
再建社長になった。

10年の再建社長経験で
40歳になった時は
自分で何が出来るか出来ないかは
大よそ見当がついた。

その後の人生でも
色々と修羅場を踏んで
随分痛い目にもあったから

少しはストレスに対する
抵抗力も身についてきた。

誰も傷つきたくは無い
誰も痛い思いなんかしたくない

しかし永い人生では
幾ら避けようと思っても
難しい局面に必ず遭遇する。

大事なことは
そんな時に逃げずに立ち向かうことだ。

とうてい乗り越えられないような
問題に直面する時もある。

それでも直ぐ諦めたり
悲観的な結論は出さないほうがいい。

自分に出来る事かもしれない。

自分でも乗り越える事が
出来るかもしれない。

そう思えなくても
そう想い続けてみる。

想い続けて時間の経過を待ち
それでもどうしても出来ないとしか
考えられない場合もあるだろう。

決断をする時期が
今では無いのかもしれない。

決断をして事に当たるだけの
力が今無いのかもしれない。

そこで初めて立ち止まればいい。

「嫌だな」と思うことばかり
多い人生だったが

問題から逃げ出さず
刹那的に結論を出さず
「取りあえず想い続けてみよう」と
いうことが出来るようになった。

生きるということは
何とストレスが多いことか。

苦しむ為に
生きているのではないかとさえ
考えた時もある

でも思えなくても思い続ける
でも想えなくても想い続ける

それで少しづつ
問題を乗り越えていく力がついてきた・・・
それで少しづつ
生きるエネルギーが湧いてきた・・・

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●なぜ相性の悪い相手とでも 付き合えるようになったのか

●なぜ相性の悪い相手とでも
付き合えるようになったのか



大学を卒業して
父の会社で働く事になった。

会社に初めて足を踏み入れた時
殆んどの社員が
私の背中に冷やかな視線を
浴びせていることがわかった。

苦労して父と一緒に会社を作り上げた
生え抜きの連中が多かったから
「バカ息子のお手並み拝見」
というのが大方の感想だったのだろう。

そうこうしている内に
会社が倒産して
図らずも再建社長になってから
その関係は余計に悪化していった。

私に都合の良い連中が集まって
派閥みたいなものが出来てきた。

抵抗勢力もやがて出来上がり
水面下で魑魅魍魎の闘いをしているのだから
再建など一歩も前に進まない。

まるで消耗戦のような10年が過ぎて
再建会社は影も形もなくなった。

いま振り返っても
「苦手だな」と思う連中ばかり
周りにいたという印象が強い

○やりづらい相手と良い関係になるのを
 急ぎすぎたのに気づいたから

私の心境が一変したのは
妻が漏らした一言からだった。

「夫婦は血が繫がっていないのだから
考え方の違いくらいあって当然でしょ」

「おいおい、そんなに他人行儀な考え方を言うなよ」
と思ったが言われてみれば一理ある。

そんなことを想いはじめると
次々と新しい考え方が湧き出てきた。

妻の人間性を決めつけない。

理解しあえない部分は
自分の方から妻に一歩近づいてみる。

小さいことでもいいから
妻のの良い所を一つだけ見つける

夫婦だって
意見の違いがあるのだから

赤の他人と完全な人間関係を
急いで造ろうとしても
それは中々難しいことだと
気がついた。

自分の状況も相手の状況も
時間が経てば変わる場合もある。

そのうちに相手が
置かれている状況についても
幾らか情報が入ってくる。


だから相性が悪いと感じたら
無理に好きになろうとはせず
ゆるいつながりから始めたほうがいい。

過去の失敗経験から
そんなことに気がついた。


誤解のないように付け加えておけば
私と妻との間は「相思相愛」の関係だと
私は思っている・・・

妻がどう思っているかは
まだ聞いたことは無い・・・

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●なぜ結論を急ぐのを止めるようになったのか

●なぜ結論を急ぐのを止めるようになったのか



30才で
再建社長になる前の人生は

行き当たりばったりで
全てを決めていた。

実際に再建社長の仕事を
始めてみると

決断のスピードを
求められる事ばかりだった。

物事を
深く考えもせず

表面的な事にとらわれて
失敗を繰り返していた。


この会社で
今何が起こっているのか

社員の人は
どういう希望を持っているか

結果を早く欲しいくせに
社員の考えを聞きだすなんて事は
全く素通りしていた。

10年目に再建会社を消滅させた時
後ろを振り返ると

私に付いてくる社員は
ただの一人もいなかった。

○自分の思い込みだけで描いた目標は
 絵空事だと気がついたから

なぜ命懸けで再建を
果たそうと思っているのに
わかってくれないんだ。

わたしは心でで叫んでいた。

しかし本当に
そう叫びたかったのは
社員の方だった。

倒産した会社であっても
これからの再建に協力したいのに
なぜ私達の声を聞かないんだ。

そんな社員の声は
まるで聞こえていなかった。

いや聞こうともしなかった。

とにかく結果を
出さなければいけない。

悠長なことをしている
時間は無いと思っていた。

そんな空回りの10年が過ぎて
再建会社を消滅させる事態になって
ようやく気がついた。

一緒に行動して欲しい人たちの
思いがわからなくて

自分にばかり都合の良い結果など
何も出る筈がない。

どうしても自分の
目標が達成したいのならば

自分がどう思うかよりも
周りが本気になるようなことに
心をくだくべきだと・・・

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●なぜ結論を急ぐのを 止めるようになったのか

●なぜ結論を急ぐのを止めるようになったのか



30才で再建社長になる前の人生は 行き当たりばったりで全てを決めていた。 実際に再建社長の仕事を始めてみると 決断のスピードを求められる事ばかりだった。 物事を深く考えもせず 表面的な事にとらわれて失敗を繰り返していた。 この会社で今何が起こっているのか 社員の人はどういう希望を持っているのか 結果を早く欲しいくせに社員の考えを聞きだすなんて事は全く素通りしていた。 10年目に再建会社を消滅させた時後ろを振り返ると 私に付いてくる社員はただの一人もいなかった。 ○自分の思い込みだけで描いた目標は 絵空事だと気がついたから なぜ命懸けで再建を果たそうと思っているのにわかってくれないんだ。 わたしは心でで叫んでいた。 しかし本当にそう叫びたかったのは社員の方だった。 倒産した会社であってもこれからの再建に協力したいのになぜ私達の声を聞かないんだ。 そんな社員の声はまるで聞こえていなかった。 いや聞こうともしなかった。 とにかく結果を出さなければいけない。 悠長なことをしている時間は無いと思っていた。 そんな空回りの10年が過ぎて再建会社を消滅させる事態になってようやく気がついた。 一緒に行動して欲しい人たちの思いがわからなくて 自分にばかり都合の良い結果など何も出る筈がない。 どうしても自分の目標が達成したいのならば 自分がどう思うかよりも周りが本気になるようなことに心をくだくべきだと・・・</p>

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●なぜ求めて異業種の人と付き合うようになったのか

●なぜ求めて異業種の人と付き合うようになったのか

60才を越えて
今までの人生を振り返ってみると

40才までの波乱の人生では
異業種の人との付き合いは殆んどなかった。

同業との濃密な付き合いが多かった。

そして会社に戻れば
蜘蛛の巣のように張り巡らされた
同族とのベタベタとした
人間関係に終始していた。

それでも目先の事で考えれば
目くじらを立てるような問題でもない。

しかし長い目で見ると
大きな損をしているような気がして
ならなかった。

○損得ぬきで人と付き合うのも
大事なことだと気がついたから

失敗したり酷い目に会うと
痛みがある。

だからもう二度と
同じ思いはしたくないと考える。

しかし余り
防御的な生き方ばかりしていると
分別が身につかない。

人を見る目も養われない。

大きな穴を開けて待っている
落とし穴にも気がつかない。

ここ数年、色々な業種の人と
付き合ってみると
価値観の違いや人生観の違いにさえも
気がつく場合がある。

「それが何の役に立つんだ」と聞かれたら
キチンと答えることは出来ない。

しかし、ある程度の年をとると
わかってくることがある。

目先には
自分の利益に関係の無い付き合いや

これは無駄になるかもしれない
と思えることが

ずっと後になって
役に立つ場合があるということだ。

だから目先の損得にばかり
目をうばわれないで

色々な人と
付き合ったほうがいい。

大体そのほうが
人生が刺激的で面白くなる。

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