●なぜ苦闘の人生は自分の役に立ったのか

●なぜ苦闘の人生は自分の役に立ったのか



負債30億で父の会社が倒産。

初めて臨んだ債権者会議の
異常な緊張感につつまれた雰囲気は

昨日の事のように
ハッキリと覚えている。

そして予想もしない展開で
再建社長になる。

破綻の原因に直接
関係していたわけでは無いのに・・・

父や同族の幹部がしでかしたことの
後始末をなぜ私が・・・

幾ら考えても答えが出てこない。

おまけに幾ら頑張っても
それが評価されるわけではない。

理不尽なことをやらされていると
芯から思っていた。

なぜ私だけが
こんな苦しい人生を
歩まなければならないのかと
自分の運命を呪った。

そんな受身の気持は
やがて恨みに変わっていった。

なぜこんな人生に巻き込んだと
父を恨んだ。

やらされたと言う被害者意識が
自分の心を炎上させた。

◎どうせ一度の人生ならば
せめて闘って生きてやろうと思ったから

恨みの人生は辛い。

恨んでも恨んでも
それは消えるどころではなく
炎の強さは
さらに増していく。

生きる力など出てこない。

魂を抜かれた抜け殻のように
なっていく。

だから恨むのは止めた。

許すことは出来ない。
でも恨むのは止めた。

とてもそんな恨みの人生は
辛くて生きていけない。

だから誰のせいにもしない。

誰のせいにも出来ないように
最後は自分で決断する。




自分の人生で華々しい成果を
あげられたことなど何も無い。

でも生きる自信はある。
生きていける自信はある。

それは重荷から
逃げる事をやめた時からだった。

問題が解決
出来ようと出来まいと

闘わずして
逃げる事をやめた時からだった。

その日から不思議なほど
落ち着いた心で生きられるようになった。

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●なぜ手酷い挫折をしたのに生き直そうと思えるようになったのか

●なぜ手酷い挫折をしたのに
生き直そうと思えるようになったのか



丁度30歳になったとき
負債30億で倒産した父の会社の
再建社長になった

それまでは
自分でやりたい事など
何も無く

自分が好きな事など
何も無く

ハッキリしない人生を
歩んでいた。

そんな怠惰な生き方に
天罰が下ったのだろうか・・・

どこの港にも
到着出来そうも無い船の
船長になれという。

自薦も他薦もない。

そんな割りの合わないポストが
欲しいという人など誰もいない。

そんなモチベーションの
低い毎日を10年続けた。

自分はどう生きたいのか
全く掴めないままに

船は燃料も尽き果てて
ゴボゴボと海底に沈んで行った。

◎今までの生き方が間違っていたから
無気力になっていた事に気がついたから

身も心もボロボロになって
しまったが

生きなければならない
生き続けなければならない。

そんな酷い状態でも
今のままではどうしようもない
ことだけはわかった。

自分に利益をもたらしてくれそうな
人を選んで付き合っていた。

自分にプラスになりそうな
ことばかりやる気になっていた。

でも生きるヒントは掴めないまま
自滅してしまった。

だから屁理屈をこね回して
いる自分を捨てた。

やって出来ないかもしれない。
また酷い失敗をするかもしれない。

でも例え1ミリでもいい
1センチでもいい。

自分の力で、自分だけの力で
踏み出そうと思った。




決意して再起の道を歩み始めた

思ったとおり成果など出ない。
そう簡単に出るものではない。

世間はそんなに甘くない。

でも心に光はさしてきた。

大事なのは行動する事だった。
今までとは違った事をすることだった。
とにかくはじめてみることだった。

そして60才を越えて
ようやくわかった。

自分の生き方は
自分でみつけるんだって

自分の好きなものは
自分でみつけるんだって

かなり遅い気づきだけど
しょうがない。

人それぞれに
生きる形は違うのだから・・・

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●なぜ失敗経験で心を鍛えられる様になったのか

●なぜ失敗経験で
心を鍛えられる様になったのか



負債30億で父の会社が倒産
再建社長の指名を受けて
再建の指揮を取る事になった。

いま本音を明かせば
自分から求めて
そんな大変なリスクを
選択したわけではなかった。

指名を拒否すれば
会社は直ちに精算と言う事になり

僅かかも知れないが
残っている再起のチャンスも
放棄する事になる。

しからば挑戦してみるかと
思っても

到底やり遂げる事は不可能な
返済計画だった。

何とか逃げ出す方法は無いか・・・
そんな大義名分は何処にも見つからない。

思い切って挑戦してみるか・・・
失敗したら会社も自分も破滅するぞ。

そんな葛藤を繰り返して
辿り着いたのは
10年という期限付きで
やってみようという結論だった。

誰にもその本心を明かさず
再建はスタートした。

そんな曖昧な決断は
不安に結びついていった。

中々動けない。
最初の一歩が中々踏み出せない。
だから不安が増幅する。

堂々巡りの10年間を費やして
結果は跡形も無く再建会社を
消滅させると言う事になった。

◎小さい問題でも逃げないで戦う事が
 大事だとわかったから

考えてみれば
何をやってもリスクはある。

だから再起については
自分からリスクを選択した。

だから再起の道は全て
自分で決めて

自分に言い訳の出来ない
状態にした。

仕事も異業種を選択して
以前のキャリアが役に立たない
世界を選んだ。

ほとんど個人に近い創業で
親父がどうの同族幹部がどうのと
人のせいにして
文句を言えないようにした。

だから大変だった。
だけど辛くなかった。

華々しい成果は今もって
挙げられないでいるが

リスクを恐れず何でも前向きに
挑戦する気持でいる。

いま人生で一番前向きに
考えられている自分がいる


思えば子供の頃から
問題に立ち向かう事がなかった。

親の過保護を幸いに
中学高校はエスカレーターで卒業した。

社会人になってからも
きちんと自分の人生に向かい合う
と言う事をしてこなかった。

そのツケが廻って
いきなりとんでもない重圧と
戦わなければいいけない
羽目になった。

例えそれが小さい問題でも
逃げずに立ち向かっていこうという
気構えが必要だった。

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●なぜ長い困難な人生を 耐える事ができたのか

●なぜ長い困難な人生を
耐える事ができたのか



父と同族幹部との
ひそひそ話が多くなったなと感じて
何となく胸騒ぎがしていた。

その危惧は現実となり
負債30億であえなく倒産

まさかと思った再建社長指名を
30才で引き受けることになった。

誰が考えても
達成不可能な再建計画だったが
誰もそれを言わない。

全幅の信頼を得ていた
仕入先や金融機関を裏切ったのだから
それは当然の話だった。

事業を継続させて
もらえるだけでも有難い話だった。

しかしまるで先が見えない。
苦しみがいつ終わるのかわからない。

暗闇の中を手探りで
歩いている日が続いた。

苦しい辛い毎日だった・・・

◎必ず光の差し込む出口があるんだと
思えるようになったから

再建も7年目を迎えたころ
会社も自分も

ダッチロール現象のように
迷走を重ねていた。

自分がどうなるのか
まるでわからない不安な毎日だった。

その頃出会ったある人の言葉で
何とか踏みとどまる事が出来た。

今良い事が永遠に続く
保証があるわけでないし

今悪い事が
死ぬまで続くわけではない

状況は常に変化している

だから良い時にも決して奢らず
悪い時こそ挫けず希望を持つ事だ

諦めなければ
必ず人生の活路は開ける

その言葉に確たる保証が
あるわけではない。

しかし
私には十分すぎる言葉だった。

苦しい時は苦しいと言って
いいんだと気がついた。

「時が解決してくれる」

以前は全く信じられなかった
そんな言葉も受入れられる様になった。

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●なぜ超受身の人生を転換する事が出来るようになったのか

●なぜ超受身の人生を転換する事が
出来るようになったのか



30才で負債30億で倒産した会社の
再建社長になった。

もちろん望んでなったのではなく
やむにやまれぬ選択だった。

父と同族幹部が行った
不正な取引で
4億4千万の不良債権が発生

紆余曲折の債権者との交渉の末
何とか事業の継続だけは許された。

100人の内100人が
不可能だろうと思う返済計画だった。

生かしてはやるが
楽な生き方は許さないという
蛇の生殺しのような
再建計画だった。

苦闘との戦いは
憎しみに変わっていった。

なぜこんな人生に巻きこんだと
父を恨んだ。

なぜ自分だけが
こんな辛い人生を
歩まなければいけないんだと
運命を呪った。

心の中では憎しみと恨みの炎が
燃え盛っているのに

表向きは再建社長として
頑張る自分を装っていた。

10年目に跡形も無く
再建会社を消滅させる事になった。

再建会社は何一つ
自分の思い通りにいかなかった。

自分も自分の
思い通りにいかなかった。

◎自分の持てる力を
全て出し切って生きれば
それでいいと気がついたから

再建計画が破綻したら
自分自身も破綻すると思っていた。

それでなくても
既に形あるものも無いものも
根こそぎ失っていて

その上に再建失敗という結果が
のしかかってくるのだから・・・

結果は逆だった。

アクセルとブレーキを
同時に踏んでいる様な状態が終わった。

暴飲暴食をしながら
胃腸を気遣っている様な状態が終わった。

だからほっとした。
だから楽になった。

自分の意思では
どうにもならないものまで
自分で動かそうとしていた。

その境目がわかった。

出来ない自分を認めた事で
出来ない自分を受入れた事で

自分の実力が良くわかった。
何をして生きていけば良いのか気がついた。




自分では持ち切れない物まで
抱えるだけ抱えて

自分から迷路に入り込んで
挫折をしていた。

だから捨てた。
見栄も体裁も面子も捨てた。

錯覚していた
過剰な自信も捨てた。

およそ考えられる物は
みんな捨てた。

恨みも憎しみも捨てた。

だから心と体が楽になった。

心の中で家族のことを
考えるスペースが出来てきた。

自分への執着を捨てるのに
長い長い時間がかかってしまった。

とんでもない遠回りをしてしまった。

でもおかげで
あんなに酷い失敗を重ねたのに

結果を恐れず
もう一度生き直してみようという
気持になることが出来た・・・

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●なぜ失敗して普通に 生きなければならないと思ったのか

●なぜ失敗して普通に
生きなければならないと思ったのか



再建社長になってから
自分でも渾身の力を込めて働いた。

色々な委員会も立ち上げて
多くの社員に参加してもらった。

社内の志気を鼓舞して
奇跡の再建を成し遂げようと
はやっていた。

しかし成果は
サッパリ挙がらなかった。

なぜ自分と同じような気持で
頑張れないんだと
周りを責めるようになった。

社員の言葉に耳を傾けるとか
足りない所は手助けしてあげるとか
そんな事は少しもせずに

「そんな事では再建など出来ない」
などと自分一人で大声で叫んでいた。

会議で社長のプライドを
傷つけられるような質問をされると
とても収まりが付かないほど逆上した。

社員の気持ちは段々と離れていった。

「こんなに俺が頑張っているのに
    なぜそれが分からないんだ」

そして10年目に
再建会社を消滅させたとき

私についてきた社員は
ただの一人もいなかった。

◎自分の苦労ばかりに
気を取られているのに気がついたから

再建社長になった当初は
「大変な仕事を引き受けましたね」
「頑張って下さいね」
周りからそんな言葉をかけられていた。

「いや失うものは何もありませんから」
と自分では言葉をかえしていた。

本音としては
これだけ大変な仕事を
しているのだから

その位のことは言われて
当然だと思っていた。

だから自分が非難されると
それは不当な扱いであると言い張り

他人を非難するときは
鬼の首でも取った様に徹底的に糾弾する。

慢心とはこういう状態だと
見本になるような体たらくだった。

自分の苦労の人生にばかり
気を取られていて

他人の苦労の人生は
まるで見えていなかった。

いや見ようとしなかった。

だから失敗した。

人の上に立つ器量なぞ
少しも無いのがわかった。




いまでは少しは社員の人に
「ありがとう」とか
「ご苦労様」とか
声を掛けられる様になってきた。

まぁこれだけ数多くの失敗経験を
繰り返してきたのだから

いくらか学習の結果は
出てきたのかもしれない。

しかしまだ他人の評価に
一喜一憂している。

自分の心の欠陥を直すというのは
中々難しい。

普通に生きるというのは
中々難しい。

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●なぜ失敗を重ねた人生なのに再起しようと思ったのか

●なぜ失敗を重ねた人生なのに
再起しようと思ったのか



負債30億で父の会社が倒産。
その当時県内史上最高の負債額だった。

流石にテレビのニュースにまでは
ならなかったが

あらゆる新聞の地方版に
「いませ商事事実上の倒産」
という記事が掲載された。

800社近い得意先とその家族
仕入先、50名の社員とその家族
私が住んでいた近隣、親戚

知らない人は
誰もいないのではないかと
思える位の事件だった。

恥ずかしい。
人の目が気になる。
人の噂が気になる。

あぁこの会社は倒産したんだ。
あの人は倒産した会社の再建社長なんだ。

そう思われているのに違いない。
きっとそんな事を話しているんだ。

「もう失うものは何も無い」などと
冷静を装ってはいたが

そんな卑屈な思いが
再建社長の10年間もずっと
消えることはなかった。

そして父の会社が倒産した
10年後に
今度は息子の私が再建会社を
消滅させる結果になった。

◎安っぽいプライドは捨てて
死に物狂いで生きようと思ったから

地方の場合は
特に世間の目は気になる。

それでも倒産して10年も経てば
「そんなこともあったな」
と言う程度に
人々の記憶からは薄れていく。

問題は自分の心だった。

他人を基準にして
他人の評価を基準にして生きていた。

だから周りの評価が悪くなると
怯えた気持になっていた。

しかし私も妻も丁度40才
子供達もまだ幼く

そんなことに
躊躇している時間は無かった。

もう誰にどんな評価を受けてもいい。
もう誰に非難されてもいい。
全部私自身が受けて立とう。

そう覚悟した事で
安っぽいプライドを捨てる事ができた。




自分自身の心の再建が
再起の道に一歩踏み出せた
大きな要因だった。

そしてもう一つ重要なことは
家族の存在だった。

自暴自棄になり
飲み屋街を徘徊していた
酷い時期にも
私を見捨てず耐えていてくれた。

そんな妻の存在なくしては
再起は有り得なかった。

能力も無く意気地のない私だから
「これは誰か手助けが必要だ」と
神様が心配して
よこしてくれたのかもしれない。

「心の再建と家族の支え」
それで再起の道に
踏み出すことが出来た・・・

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●なぜ失敗ばかりしていたのに自分を変えることが出来なかったのか

●なぜ失敗ばかりしていたのに
自分を変えることが出来なかったのか



今考えれば出来ないところは
虚勢を張らずに

素直に周りに助けを
求めれば良かったと思う。

しかし30才で
再建社長になった私は

焦って一人合点で
空回りをしていた。

もっと正確に言うと
自分に出来無いことなど
何も無いと思っていた。

たまたま
本気を出していなかっただけで

自分がその気になれば
天下を取れると密かに思っていた。

当然失敗を重ねる。
しかしやり方を変えない。
また失敗する。

人の評価が気になる。
人の意見が気になる。
しかし生き方を変えない。

そして自分から
迷路に入っていった。

●失敗してまるで能力の無い
自分を認めるのに
長い時間がかかったから

再建社長も7年目を迎えて
立ち往生していた。

進むも退くも
何一つ結論を出せずにいた。

毎晩毎晩
飲み屋街を徘徊していた。

誰か自分に喧嘩を
売ってくる奴は
いないかと探し回っていた。

かなり性質の悪い
人間になっていた。

3年近くもそんなことを繰り返して
よくよく自分の事が厭になった。

もうこんな酷い生き方は
したくないと思った。

そこでようやく
生き方を変えようと思った。

再建社長になってから
既に10年の月日が経っていた。




自分が想っていたより
まるで能力が無かった。

自分がやろうと想っていた事は
100の内99は出来なかった。

だからやり方を生き方を
変えれば良かった。

失敗が悪いのではなかった。

失敗したことから学び
新たなやり方を試そうという
気持がなかった。

「人間は変われるんだ」
と想えたことで

「自分は変われるんだ」
と想えたことで

蟻地獄のような失敗人生から
脱出する事ができた・・・

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●なぜ再起の道に 全く違う業種を選んだのか

●なぜ再起の道に
全く違う業種を選んだのか



丁度わたしが30才のときに
その当時の県内史上最高の
負債額30億で父の会社が倒産した。

新聞各紙の地方版一面に
「県内史上最高の負債額で
       いませ商事倒産・・・」

30年前でもかなり
センセーショナルな事件だった。

私が再建の陣頭指揮をとったが
10年目に破綻。

再建会社は跡形も無く
消滅した。

しかし私もまだ40才。

男の子二人もまだ幼く
何としても再起を図らなければ
ならなかった。

●今までの生き方が
間違っていたと確信したから

再起の道は
全く新しい業種を選んだ。

理由は色々ある。

20年近くゴチャゴチャした
人間関係の中にいたので

もういい加減しがらみから
解放された生き方をしたかった。

あまりにも仕出かしたことが
大きかったので

信頼・信用の回復が
同業では難しかった事もある。

しかし決め手は
今までの生き方が間違っていたと
ハッキリとわかったことだった。

誰かに何かを教えてもらおう。
誰かに助けてもらおう。

挙句の果てには
なぜもっとちゃんと
教えてくれなかったんだと
逆恨みをする。

なぜもっと
助けてくれなかったんだと

自分の不運を
人のせいにする。

そんな生き方をしていたのでは
一歩も先に進めない。

新しい業種で
何とか上手くやれるかなんて
確証はどこにもないが

新しい人生のリスクは
自分の責任で選択することにした。

そうすればどんな結果が出ても
誰も恨めない。

力も無いのに能力も無いのに
変な理屈ばかりこねまわしていた。

大した考えも無いのに
考えがまとまったら行動しよう
なんて思っていた。




失敗社長の私に必要だったことは
失敗を恐れず

行動してから、一歩踏み出してから
歩きながら考えるということだった。

そんな想いで再起の道へ踏み出してから
もう20年以上が経過した。

華々しい成果など何も無いが
いま人生で一番前向きな自分がいる。

「人間は変われるんだ」
ということを実感している・・・

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●なぜあえて困難なほうの人生を選択したのか

●なぜあえて困難なほうの
人生を選択したのか



倒産して再建社長の指名を受けた時
正直「これはヤバイ」と思った。

再建が容易に出来るくらいなら
倒産はしていない。

その当時30才だったが
40才になって50才になって
再建が失敗したら
自分の人生は破滅する。

またそこから
更に苦労の人生を歩むのか・・・

しかし「それは出来ません」と
指名を拒否できる大義名分もない。

何とか逃げ切れる方法は無いかと
寝ないで思案したが

そんなことは
出来るはずもなかった。

結局指名を受けることになった。

しかし自分の気持の中では
「10年の期限付きでやってみよう」
「それでも再建できない時は
土下座をして、許してもらおう」
と密かに思っていた。

●自分が「どう生きたか」を妻や子の
視線にさらさなければいけなかったから

再建社長の指名を受けたのは
迷走に迷走を重ねた上での結論だった。

しかし最後の決め手は
妻や子にきちんと説明を
出来るかどうかだった。

既に経済的には
破綻しているのだから

これからお金の苦労をすることは
家族は先刻承知している。

「これからの困難な人生を
お父さんはどう生きていくの」

「お父さん!これから私達を
どう引っ張って行ってくれるの」

口には出さないが
そう聞きたいことはわかっていた。

これからどう生きていくんだという
姿勢を問いかけていた。

商売が下手だから
失敗したのは間違いない。

努力もせず、甘い考えでいたから
こんな目に会ったことも間違いない。

だからありのままを
包み隠さず家族に見せなければ
いけないと思った。

そんな欠点の多い
親であり夫であることを・・・

とても尊敬してもらえる様な
立派な親でもなく夫でもないことを・・・

だけど逃げ出さないで
諦めないで

ひたすら頑張って生きていこう
としていることを・・・




自分の至らなさで
家族に多くの負担をかけたことは
いまもって慙愧に耐えない。

とにかく有らん限りの力を
振り絞って生きる努力をすることでしか
許しを得ることは出来ないと思う。

しかし自分の心に嘘は
つかなかった。

不出来な
夫であり親であったけど

何とか
逃げ出さないで生きてきた。

妻や子の私に対する通信簿は
恐ろしくて今は聞くことは出来ない。

自分の寿命が
尽きそうになった時でも

そっと耳打ちでも
してもらおうかと思っている・・・

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