●なぜ不運な人生を 這い上がってくる事ができたのか

●なぜ不運な人生を
這い上がってくる事ができたのか



30歳のときに
負債30億の倒産会社の
再建社長になった。

成果も上がらず
10年後に精算するまでは
苦しい日々だった。

しかし今振り変えると
そんな逆境に立たされなくても
苦しい人生に
なったのではないかと思う。

確かに会社が破綻したのは
父を含めた同族幹部の不正な取引きが
直接の原因だった。


そして割に合わない
再建社長を引き受けざるを得なかったのも
不運と言えば不運なことだった。

しかし10年間の
再建社長時代にやったことは
「自分は誰の為にこんな酷い人生を
 送らなければいけなくなったのか?」
という犯人探しだけだった。

苦しい人生になっている
原因は自分にあるのに
常に他に原因を求めていた。

自分の苦しみを正当化する
理屈を探し続けていた。

だからそんな
地獄のような状態から
抜け出すのに
長い長い時間がかかってしまった。


◎起こった事実よりも
それにどう対応して生きるんだと
いうことが大事だとわかったから

堂々巡りも10年間も続けていると
精も根の尽き果てて

もう何もかも投げ出して
終わりにしたいと思った。

これ以上できない。
これ以上やれと言われても
どうしても出来ない。

もういんじゃないか。
もう十分頑張った。

不覚にも涙がこぼれてきた。

色んなことがあったけど
自分はよくここまできた。

まるで出来ない自分を
ようやく受け容れようという
気持ちになれた。




逃げたくて逃げ回っていた
人生ではなかった。

ただ辛い状況が耐えられなくて
恨みつらみで、他人のせいにして
自分を守っていた。

一度逃げる味を覚えると
次々にその手を使う。

10年間に膨れ上がった
ツケが溜まって自滅することになった。

その後の人生は
自分に嘘はつかないことにした。

出来ない事は出来ない。
駄目なものは駄目。

だから不運な人生だったけど
いま不幸ではない・・・

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●なぜ失敗人生を 公開しようという気持ちになったのか

●なぜ失敗人生を
公開しようという気持ちになったのか




再建社長も7年目を迎えたころは
毎日が地獄絵図だった。

はなから
高いハードルで
スタートした再建計画は

にっちもさっちもいかない
状態になっていた

さらに状況を悪くしたのは
そういう会社の状態や
折れかかっている自分の心を隠して
毎日を生きていたからだ。

気持ちの落ち着くところが無い。
気持ちがホッとする所が無い。

自分の弱みを
一旦見せてしまったら

際限なく愚痴を言い始めて
泣き叫んでしまうのではないか
とさえ想像してしまう。

そんな自分の正体がわかったら
どうしよう。

そんな事を知られたら
恥ずかしくて生きていけない。

本当の自分を偽って
誤魔化して生きる日々は
それから3年も続いた。

当然のように会社の再建は失敗して
何もか消えて無くなった。



◎自分の弱さを隠さなくなって
自分に自信がついてきたから

まるでテレビドラマの様に
40歳の誕生日の夜

誰に言うでもなく
自分の心に呟いた。

「もうどうにもこうにもなりません」
「こんな出来ない私が本当の私なんです」

そこで何とか崖っぷちから
引返す事ができた。

だから再起の道では
何でもあからさまに話すことにした。

お金がない時は「無いんです」と言う

全く金が無いのに
いかにもある様な顔をして
体裁を取り繕うことなどはやめた。

失敗した事実は全て公開する。
こんなことで躓いて
こんなことで挫折したと話す。

妻や子にも
自分の弱いところは隠さずみせる。

実際に自分が出来る事は
出来るといい

出来ないことを
出来ると言うようなことは
金輪際やめた。



人に見せるためのものは
いくら持っていても

それは生きる自信には
つながらなかった。

実際の自分以上のものを
人に見せようとして失敗した。

強い人間にはなれなかった。
立派な経営者にもなれなかった。

しかし自分の正体を隠さず
見せられるようになって
生きる自信は持てるようになった・・・

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●なぜ失敗社長なのに人生の終盤で幸福感を味わえるようになったのか

●なぜ失敗社長なのに人生の終盤で
幸福感を味わえるようになったのか



人は重荷を背負うことで
自信も生まれる。

いまだからそれがわかる。

しかし30才で再建社長に
なった頃は
それどころの騒ぎでは
なかった。

もともと自分がしでかした
失敗ではない。

それなのになぜ
自分だけこんな辛い人生を
生きていかなければ
ならないんだ

理不尽な話だ。
あまりにも不公平だ。

そんな風に考えていたから
何とか現実から逃げようとしていた。

逃げて逃げ切れるような
状態であれば苦労は無いが

逃げようとすればするほど
絡み取られる。

10年間も逃げ回って
再建会社を跡形も無く消滅させた。



◎自分から重荷を背負う事で
楽になることに気づいたから

ぐうの音も出ない負け戦だったから
極めて消極的ではあったが
そんな自分の運命を受け容れた。

いや受け容れざるを得なかった。

すると不思議な事に
心は楽になった。

自分から重荷を背負う事で
人生ではじめて
自分と正面から向き合う
ことができた。

運命から逃げ回って
一時しのぎで生きていた時の
自分は辛かった

何とか自分から運命に
立ち向かって行こうと思うと
逆に心は楽になってきた。



人生の重荷から逃げ回っていた
再建社長の10年間は

自分は犠牲者だと思うから
毎日が辛かった。

なぜ自分だけ
こんな辛い人生を歩まなければ
ならないんだと
考えていたから辛かった。

いまでも辛いことはある。

生きているというのは
辛いことばかりだと思うこともある

でも逃げ出さないで
生きているから喜びもある。

あんな酷い思いをした
人生だったのに

終盤にきて幸福感を味わえるなんて
予想もしていなかった。

楽な人生など無いのだから
辛い事も嫌だと思わずやることだ。

遅すぎた気づきかもしれないが
60年もかかって
ようやくそこらへんのことが
わかってきた・・・

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●なぜ自分の欠点に捉われないで 生きられるようになったのか

●なぜ自分の欠点に捉われないで
生きられるようになったのか



再建社長になった30歳のころは
自分が本気になれば
出来ないものは何も無いと
信じて疑わなかった。

しかし再建会社を消滅させた
10年という時間は
そんな私の幻想を粉々にした。

惨めになった。

こんな不幸な状態から
早く抜け出したいと思いながら

自分より不幸な人に出会うと
救われたような気がしていた。

自分が失敗した時でも
相手がもっと失敗すれば
安心できていた。

自分が幸せになる事より
他人の不幸でしか満足出来ない
嫌な人間になっていた。



◎長い人生では欠点は両刃の刃に
 なることに気がついたから

惨憺たる結果になって
自分の無能力や性格の卑しさは
認めざるを得なかった。

数多い自分の欠点が
心にも体にも嫌と言うほど
刻み付けられた。

おかげで
妻はこんなに欠点の多い夫では
私が育てなければと思ったのだろうか
まるで幼稚園児に教えるように
生き方を導びいてくれた。

息子たちは
こんな頼りない父親に頼っていては
自分達の幸せな人生はおぼつかないと
自立していった。

社員の人たちは
こんな危なっかしい社長では
また経営を間違うのでは無いかと
自分達で会社を守ってくれている。



欠点は誰にでもある。

再建社長時代は
周りには全てバレバレなのに
自分ではそれを
ひた隠しにしていた。

そして出口が無い迷路に
自分から入りこんでいって
自滅した。

失敗して自分の欠点が
きちんと見据えられるようになって
初めて自分の正体が見えてきた。

欠点は自分が
それをどう捉えるかで

長所にも
変えられることに気がついた・・・

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●失敗社長ブログを書く事で 救われている自分がいる

●失敗社長ブログを書く事で
救われている自分がいる



失敗社長ブログを書き始めて
そろそろ6年目になる。

「体で覚えるインターネット」
という本を出したいくらい

ネットの理屈が分からなくても
何とか書き続けている。

それまでは文字を書くのも嫌
本を読むのも嫌

延々とテレビを見続けるのが
至福の人生だった。

それが拙いブログでも
書き始めると中々とまらない。

同時に本も読むようになり
その豹変振りには
妻も唖然としている。

おまけに失敗社長ブログを
継続的に読んでくれる方もいる。

毎日読者の方を見て
拝みたいくらいの心境だ。



◎心の古傷は完治していない

失敗したり挫折したり
そんな心の古傷は完治したわけではなく
いまでも瘡蓋で覆われている。

20年も30年も前のことでも
フラッシュバックしてくる時がある。

「あの時あぁすれば
人生は変わっていたのではないか」

どうせ取り返しがつかないのに
未練たらしく思い出すのは
愚図愚図した性格も原因していると思う。

しかし失敗経験をブログで綴ると
不思議と心がリセット出来る。

まるでお経でも唱えたように
心が穏やかになる。

その都度
「自分の人生はこれで良かったんだ」
と想うことが出来る。




ブログを書く時は一人になる。

静かに想いを巡らすから
こんな私でも反省が出来る
またとない時間だ。

孤独だけど
あの頃の孤独ではない。

「なぜ私だけがこんな辛い人生を」
と不運な人生を嘆いていた頃の孤独ではない。

失敗社長ブログは
毎日毎日自分をリセット
出来る特効薬だ。

そして失敗人生にケリをつけ
1ミリでも前に
進もうと言う気持ちになれる
心の栄養剤だ。

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●なぜ失敗したのに自分の生き場所に 出会う事が出来たのか

●なぜ失敗したのに自分の生き場所と
 出会う事が出来たのか



父の会社を世襲で引き継いで
タナボタ社長になることは考えていた。

しかし負債30億の再建会社の
社長になろうなどとは

幾ら世間知らずの私でも
全く予想もしていなかった。

その会社を10年後に
跡形も無く消滅させたことも
考えたくない結末だった。

それまでの怠惰な生き方の
懲罰だと考えても

辛すぎて、酷すぎて、惨めで
受け容れがたい事実だった。

そうでもしなければ生きて
いけなかったから

何とかそれを受け容れて
歩き始めた再起の道も
成績ははかばかしくない。

それは道理で
商売がからっきし下手なくせに

事業をやろうということに
そもそも問題がある。

それを知りながら
人に使われる我慢も出来ない
狭い心だから
なおさら結果が出ない。

わかってはいるんだけど
今更違う生き方も出来ない。


◎何か分からない力で生き場所と
 遭遇したから

自分に愛想がつきかけていた
55歳の頃から

人の相談を受けるという仕事を
やることになった。

「こうしたら成功できるよ」
という話は出来ない。

でも幾多の失敗経験から
挫折した時の涙の味はわかる。

心が折れて
何の力も出てこない

でもどうにかしなければという
焦燥感もわかる。

だから悩みを聞くことは出来る。
一緒に悩むことは出来る




人生の終盤でこんな仕事をしようとは
100%考えていなかった。

自分の悩みさえ満足に解決できなくて
七転八倒しているのに

人の悩みの相談にのるなんて
ありえない・・・

失敗社長でのた打ち回っていた頃は
考えられない状態だ。

いま充実した気持ちでいる。
十分に生きているという実感もある。

そして幾らかでも
人の力になれるという仕事は
幸福感がある。

まるで意図していなかった
人生の終盤だが

何かの力で自分の生き場所に
巡り合う事ができた・・・

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●なぜ失敗して自分の主張を ハッキリ言えるようになったのか

●なぜ失敗して自分の主張を
ハッキリ言えるようになったのか



再建社長時代を振り返ってみると
どうもハッキリとした物言いをしていない。

負債30億の会社の
再建をしようというのだから

まぁ心が定まらないのは
しょうがない。

それにしても
何とか逃げ切れる方法はないのか?
とか
何とか人生の損を少なくしようだ
とか
往生際が悪かったのは
持って生まれた性格からだろう。

責任回避の気持が半分

やるだけのことは
やらなければいけないだろうと
思う気持ちが半分

そんな生煮えの状態で
再建会社を10年で消滅させた。

正面から重荷を
背負う気持が無いから

嫉妬や恨みばかりの
毎日だった。

◎納得したこと以外は
何も引き受けない事にしたから

それからの人生では
そんな気持の解決が大きな問題だった。

だから自分が納得したこと以外は
何も引き受けない事にした。

自分が人にハッキリと言えないような
生き方はやめることにした。

その結果自分に不利益な
結果になろうとなるまいと
全て受けて立つ。

当然やるべきことをやって
言うべき事を言う。

全て自分の責任だから
他人を恨む必要も無い。

お陰でいま人生で
一番前向きに生きている。




再建社長時代は
自分の意思ではなく
中途半端な気持で重荷を背負い

挫折して失敗して
恨みつらみの気持になっていた。

いま
問題と正面から向き合う事で
たとえ結果が失敗であっても
前向きな気持ちで生きていく
ことが出来る。

責任を感じて負担をして
重荷を背負う人生は辛い。

しかし責任を回避して
人を恨む人生はもっと辛い。

年をとってからの
恨みの人生はもっともっと辛い・・・

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●なぜ失敗して自分の居場所を 見つけられるようになったのか

●なぜ失敗して自分の居場所を
見つけられるようになったのか



大学を卒業して父の会社に
入社する事になった。

社内に挨拶回りをしながら
背中に浴びた視線に
何となく異様なものを感じていた。

その杞憂は
父の会社が倒産して

再建社長になった時に
確信に変わった。

同族幹部と父との反目
同族間の魑魅魍魎の主導権争い

それが背景にあるとはいえ
私が拒絶されているのは明らかだった。

不安な毎日が続いた。
不安だから前向きになれない。

再建社長でありながら
周りに誰一人心を許せる者が
いないという酷い状態だった。

それが現実だと
認める勇気も根性もなかった。

自信を喪失した状態で
飲み屋街を徘徊した。

何とか自分の心を誤魔化そうと
逃げ回っていた。

◎周りに受け容れられようと
する事を止めたから

10年目に
どこかで何かが切れた。

心の中で
プツンと切れた音がした。

債権者のために、社員のために
得意先のために

常に誰かのために
生きようとしていていた。

もう十分苦しんだ。

これ以上
そんな生き方は出来ない。

周りに受け容れられなくてもいい。
周りに認められなくてもいい。

どんなに非難されても
どんなに攻撃されても
自分一人で
受けて立ってやる。

自分のありのままで生きて
自分の生きたい様に生きて

周りがその価値を
どう考えようが構わない。

自分のありったけの力を出し切って
それで出来たことでいい。




失敗と挫折の果てに
気がついたことは

自分の価値は自分が
決めればいいという事だった。

自分の居場所はずっと前から
自分の中にあったのに気がついた・・・

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●なぜ失敗しても怯えるような事が無くなったのか

●なぜ失敗しても
怯えるような事が無くなったのか



再建社長時代は
全く成果が挙がらないのに
平静を装っていた。

内心は怯えていた。

現実に実績が挙がらない。
だから自信がない。

だけど何とか自分はやれる
と思い込んでいた。

正確に言うと
思い込ませようとしていた。

だから棚ぼたでも
少しばかり成果が挙がると
必要以上に誇示していた。

しかし結果が悪く出ると
その落ち込みようも尋常ではなかった。

虚勢を張っていたが
内心はそうとう怯えていた。

◎例え小さな成果でもいい
その実績が自分の能力なんだと
認めることにしたから

何の根拠も無く
自分が本気になれば何でも出来ると
思っていた。

自分が本気になれば
出来ない事は何も無い。

そんな思い上がりの気持でいた。

しかし幾ら本気になっても
サッパリ成果は挙がらない。

10年もの時間をかけて
再建会社を消滅させた。

自分に能力が無いのを認めた。
どう考えても認めざるを得なかった。




現在の事業でも
華々しい成果は挙がらない。

でも例え
小さな成果しか上がらなくても
でも例え
失敗に終わっても

そんなに一喜一憂することもない。

現実に出た実績が
自分の能力なんだから
それを受け入れることにした。

そう考えると
なんだか不思議なほど
生きるエネルギーが
湧いてくる。

失敗しても
また挑戦してやろうと
いう気持になる・・・

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●なぜ失敗人生だったのに生きる自信を手に入れられたのか

●なぜ失敗人生だったのに
生きる自信を手に入れられたのか



ある本を読んでいたら
自分の前世はどうであったかを
教えてくれるコーナーがあった。

私の前世は「お人好しの王様」とでた。

何となく納得して
うなずいている自分がいた。

30才で再建社長になった
経緯を考えても確かに合点は出来る。

父と同族幹部が引き起こした
倒産劇だから

私が逃げ切ってしまう選択肢は
無いではなかった。

しかし到底不可能な再建計画を
承知の上で

ブラックホールに自分から
突入していった。

どんなに分析しても
最終的に自分が決めた人生だった。

10年もかけた再建は
大失敗に終わり

再建会社は跡形も無く
消滅した。

負債30億での倒産
そして再建を志して失敗

その後の人生でも
後遺症は根深く残っていて

全身に突き刺さったトゲを
1本1本抜いていく作業だった。

だから前世は「お人好しの王様」
だったが

現世では「後始末の王様」を加えると
いいかもしれない。

重荷から逃げようと思った。
そして重荷から逃げ切れなかった。


◎人生の重荷は逃げ出さないで
 正面から受け止め前向きに乗り越える
 ことだと気づいたから

60才を越えて振り返ってみると
「大変なことばかりの人生」だった。

喜びや楽しみは少なかった。
辛いと思う日々の方が多かった。

事業の華々しい成果など
一つも挙げられなかった。

毅然として立ち向かうという
格好の良い生き方ではなかった。

しかし困難な問題との
バトルを繰り返してきたことで
生きる自信は手に入れた。

そして人生最大の収穫は
自分の失敗経験をもとに

色々な人の相談を受けるという仕事と
巡りあったことだった。

これが自分の運命だと思った。
ここに自分が生きる理由があると思った。




重荷から
逃げようとしている時は

被害者意識ばかりで
生きていた。

体中に憎しみや恨みが充満していた。

しかし

「自分が苦難の人生を耐えて
生きてきた」

「これだけの事を不器用ながらも
なんとか切り抜けてきた」
と考えられるようになると

恨みや憎しみではなく
それは生きる自信になってきた。

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