●なぜ失敗人生に反転攻勢をかけることが出来たのか

●なぜ失敗人生に反転攻勢を
 かけることが出来たのか



人は仕事をする為に
生きているのではなく

豊かな人生を
送る為に仕事をしているんだと
いまは思うことが出来る。

しかし再建社長時代は
難行苦行の連続で

そんな事は建前論だとしか
考えられなかった。


周りは頑張れ頑張れと言うが
自分はもう充分頑張っているのに

これ以上どう頑張るんだと
憤っていた。

でも乗り越えなければいけない
とも思っていた。

結局は乗り越える事など
全くできず

失敗と挫折の
記憶だけ残った10年間だった。



◎自分の利益にばかり捉われていて
肝心なことが見えていないのに気がついたから

10年間の
再建社長時代の経験で

否応無く自分の
能力の無さは知らされた。

能力が無いのだから
再起の道は
ひたすら努力するしか
無いと思った。

しかし世間はそう甘くなく
10年やそこらの努力では
華々しい成果など出るはずもなかった。

新しい事業を始めて15年が経ち
55才になったころ

自分の人生は
まぁこんなもんだろうと
少し諦めの気持が
出始めていた。




そんな時に縁があって
色々な人の相談を受ける仕事を
始める事になった。

人がが幸せになる
手伝いをすると

自分も幸せな気持になって
生きられることがわかった。

生きるエネルギーが
湧き出してくるがわかった。

前向きに生きる気持に
なってくるのがわかった。


仕事にも前向きに
取り組めるようになった。

自分の利益ばかり考えて
失敗を重ねていた人生だった。

人の為になる事は何か・・・
人の手助けに何が出来るか・・・

そう考える事で
何か壁の様なものを
突破する事が出来た。

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●なぜ今になって心がけを  変えようと思ったのか

●なぜ今になって心がけを
 変えようと思ったのか




再建社長時代には
いま思い出しても
冷や汗が出るようなことを
幾つもしでかしていた。

その一つは朝礼だ。

まるで自分の鬱憤晴らしのように
怒鳴りまくっていた。

社員がやっていた事をけなす。
それも不快感を与えるような話し方をする。
上から目線で高圧的に言う。
過激な言葉遣いをする。
命令する。

自分が言っている事に興奮して
しまいには怒り出す。

それで通じると思って
それで何事かが改善させると
信じて疑わなかった。

さぞかし聞かされている方は
ストレスが溜まっただろう。

今からでも一人一人に
お詫びをしたいくらいの気持だ。


ここ数年経営者の集まりに
参加していると
若い人からも
色々と教えられる事が多い。

リーダーシップを
発揮している人を見ると

気配りのある
礼儀正しい話し方をしている。

自分の意見も
ハッキリと主張するが
それに拘ることなく
反対意見にもよく耳を傾ける。

かといって
対立を恐れるわけでもない。

そして人に何かを求める時の
率直な頼み方を見ていると

あまりに爽やかで
嫉妬さえ覚えてしまう。



◎良好な人間関係を作るのには
どうしたらいいかを
今更ながら気づいたから


人にやる気を出させるのに
どうすればいいのか
よくよく考えてみれば
一つ一つ合点がいくやり方だ。

自分が期待されているとか
自分は重要な存在なんだとか
そんな意識があれば
張り切らないほうがおかしい。

それをけなしまくって
これでもか、これでもかと
やる気を削いでいた。




失敗社長を標榜している
私だから

そんなことを
今になって気がついている。

遅きに失してはいるが
幾らかでも修正できる事をは
しなければいけない。

あぁ60才を越えて
反省することばかりだ・・・

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●なぜ自信喪失状態の自分から脱出することが出来たのか

●なぜ自信喪失状態の自分から
脱出することが出来たのか



結論から先に言うと
全て自分の心の内の問題だった。

30才で再建社長になるまで
人生で起こる色々な問題に

自分一人できちんと
向かい合うことがなかった。

現実に目を背けているのだから
トラブルに遭遇しても

解決に向けて
闘うというような話にはならない。

そこで倒産、再建という
大変な事態になった。

再建社長になっても
その精神的な弱さは変わらず

逃げの一手で、自分の心の負担を
自分でどんどん増やしていった。



◎人生では何が起こったかというより
 それに対処して
 どう生きたかと言うことのほうが
 大事なんだと気がついたから

父の会社が負債30億で倒産した。
思いもかけず再建社長になった。

個人も含めて
あらゆる資産を処分して丸裸になった。

自分の人生で起こった
不運な出来事を嘆いた。悔やんだ。

こんな父の基に生まれて来なければ
再建社長など引き受けなければ

あのときあぁすれば
あのときこぉしていれば

他人も恨み自分も恨み
最後にはどう生きればいいのか
まるでわからなくなった。




倒産して再建社長になったのは
確かに不運な出来事だった。

でも生きていれば
多かれ少なかれ
何かの問題にぶちあたる。

まるで何も無い人生など
有り得ない話だ。

だから起きた事実にばかり
捉われていたら

命が幾つあっても足りない位
自分を痛めつけてしまう。

だから「困ったこと」が起こった時
困った、困ったと逃げ回っていないで

それに「どう対処するのか」という事に
切り換えなければいけなかった。


そんなことに気がつくのに
10年もかかった。

そんなことに気がついても
経営というのは能力の問題もあるから
その後の成果も果果しくない。

しかしどう生きればいいのかは
少しわかってきた。

自分以外の何かの力が働いて
自分が不幸になるのではないと
いうことがわかった。

苦しみの原因は
常に自分の心の姿勢が
大きく影響すると
いうこともわかった。

60才を過ぎて
いま自分の人生を振り返ると
不運ではあったけど
不幸な人生ではなかったと想う・・・

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●なぜ「駄目だ」と思った人生を 生き直すことが出来たのか

●なぜ「駄目だ」と思った人生を
生き直すことが出来たのか



父の会社が負債30億で倒産して
新聞にも大きく出て

だれも知らない人は
いないんじゃないかと思える位の
私にとっては大きな出来事だった。

何とか再建計画は認めてもらい
破産的な精算は免れたが

今度は再建社長をやれという
とんでもない話になってしまった。

しかもこの期に及んでの
同族間の抗争

社員のの経営陣への不信

月商1億以上も売上は
維持しながら

金融機関との
取引きは出来ない。

何をやっても
「これは駄目だ」「あれは駄目だ」
という結果にしかならない。

止めで新米社長の
拙劣経営がそこに加わるのだから
行き詰らない方がオカシイ。

とにかく苦しみから
逃れる事ばかり考えていた
10年間が過ぎた。



◎自分が本当に大事に
したいものがわかったから

「イヤナこと」を先送りして
自分をごまかして生きていた。

そのツケが廻って
会社も自分も完全に行き詰った。

再建会社は消滅させる事になった。

およそ金になるものは
10年間で全て売り尽くした。

信用も信頼も実績も自信も
何もかも失くした。

茫然自失になり
何の為に生きればいいのか
わからなくなった。




人生で初めて
悩みに悩んだ時期だった。

でもどん底まで落ち込んだことで
見えてきたものがあった。

これだけは失いたくないと
いうものがわかった。

それは自分は妻や子の為に
生きるんだということだった。

自分が人生で求めていたものは
「家族の幸せ」だった。

その後の人生でも迷いはある。

でも何を基準にして
決めればいいかすぐにわかる。

あれも出来ない、これも出来ない
という八方塞がりの状況で

とことん悩んだ事で
自分が何を求めて生きているかを
ハッキリと掴む事ができた。

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●なぜ「一攫千金」と呟かない様になったのか

●なぜ「一攫千金」と呟かない様になったのか



再建社長時代は
「一攫千金」とか「濡れ手で粟」とか
よく呟いていたわねと妻に言われる。

何から何まで処分して
スッカラカンになったから・・・

それも外れてはいない。

でも本音を言えば
苦しみから逃れたいから

一瞬でも苦しみから逃れたいから
そんな刹那的な事を言っていた。

直ぐに効果が出る事
凄く大きな事
そんな事をばかり思いつく。

でも所詮思いつきだから
「やっぱり無理だから」とか
「タイミングを逃した」とか
出来ない理由も簡単に見つけてくる。

そんな事を10年間も繰り返して
精も根も尽きて疲れ果てた。

車のバッテリー切れの様に
スゥ~ッと心のエンジンが止まった。

再建会社の消滅を決めた時の
心の動きはそんな感じだった。



◎諦めないで少しづつ歩く
生き方もあるんだと気がついたから

自信がないから
こらえ性も無くなってくる。

自信がないから
一発逆転満塁ホームランを
期待する。

自信がないから
派手で人目につくような
仕掛けばかり考える。

そんな行動は
ことごとく裏目に出た。

そして落ち込む。
尋常では無いほど落ち込む。

そんな辛い状況を
抜け出す事が出来たのは

何でもいい
小さな事を継続してやる
という事だった。




人の能力はそれぞれに違う。
人の体力もそれぞれに違う。

だから少しづつやればいい。

休まないで、辛抱しながら
少しづつ進めばいい。

どんなことでも
毎日欠かさずやれば
それは自信に繋がっていく。

今まで見落としていた
無くてはならない大事なものにも
気がつくようになる。

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●なぜ失敗と挫折の人生で 生きがいと出会う事が出来たのか

●なぜ失敗と挫折の人生で
生きがいと出会う事が出来たのか



18才くらいまでは
波乱の人生の兆候は何も
感じることは無かった。

しかし大学に入ってみると
大荒れの大学紛争で
正味の授業は1年も無く

何やらザワザワとおかしな風が
私の人生に吹いてきた。

大学を卒業して父の会社に
入ってみると

同族経営の混乱の真っ只中で
その風は嵐に変わる予感がした。

そして30才で私を直撃したのは
県内史上最高の負債額30億で

父の会社が倒産するという
超大型ハリケーンだった。

まるでテレビドラマの様な
衝撃の経験をして

それでも何とか再建会社を収束させ
第二の人生を歩き始めた。



◎どうなれば幸福かということより
 生き方そのもので
 幸福感を感じられることが
 わかったから

自分の能力を過信して
10年間もの長い間混迷を続けた。

だからひたすら
努力するしかないと思った。

生まれて初めて頑張った。

もう出来ないというほど
頑張ったお陰で

私の人生も少しは
穏やかさを回復してきた。

自分でも良くここまで
酷い人生を耐えてきたと
自分を慰めることは出来た。

過去を振り返ることは出来た。

しかし前に進もうと言うほどの
エネルギーは出て来ない。

「まぁ私の人生はこんなもんだろう」
と諦めにも似た気持ちになっていた時

HPでの営業を開始して
自分の失敗人生を公開することになった。

そして色々な
悩みを持つ人からの相談を受け

失敗経験を生かして
アドバイスをすることになった。





私が予想もしない
人生の新しい展開だった。

人一倍煩悩に悩まされる性格で
およそ努力とは縁遠い性格で

そのツケが廻って
苦難の人生に自分から
嵌り込んでいったのに・・・

しかし色々な相談を受けて
回答する仕事が私を助けた。

そして生きる力が出てきた。
自分の生きる力が湧いてきた。

いま事業としての成果は
十分では無いが

いま人生で一番
前向きな気持ちになっている。

人が幸せになるのを手伝うことで
こんなにも幸せな気持になれるとは・・・

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●失敗して追い詰められた人生から どうして抜け出せたのか

●失敗して追い詰められた人生から
どうして抜け出せたのか



持って生まれたいい加減な性格や
甘やかされた育ちもあって
30前はかなり世間をなめていた。

しかし父の会社の倒産で
30才で再建社長になると

否応なしに現実の厳しさを
叩き込まれた。

それまで只の一度も
自分の人生ときちんと
向かい合った事が無かった。

だから辛い気持ちや悩みを
乗り越えようとした事も無かった。

それがまるで逃げ場の無い
状況に押し込まれて

再建を果たそう
再建を果たさなければいけないと
真剣に思いつめていた。

希望のある朝を迎えた事など
一度も無く

だんだん塞ぎ込む日が
多くなってきた。

「再建に失敗」と言う文字が
いつも頭の中にあった。

とてもこれは
乗り越えられないと思った。


◎頑張らないほうが
上手くいく場合もあると気が付いたから

私は努力もしない
本来いい加減な人間だけど
かなり真面目に頑張った。

人生で初めてと言うくらい
必死に頑張った。

頑張れば頑張るほど
気持は追い詰められていった。

再建をスタートしてから
10年目に完全に立ち往生した。

どうにもならない自分に耐えられなくて
生まれて初めて辛くて涙を流した。

「もうこれ以上頑張れない」
「もうどうにでもなれ」と思った。

そうでも思わなければ
不安で心が爆発しそうだった。

人生ではどうしても
乗り越えられない事もあるんだと
身に沁みて感じた。


自分は能力の低い社長だと思った。
能書ばかり語って
有言不実行の酷い社長だと思った。
だから弱音も愚痴も
どんどん吐き出してやると思った。

「どうなってもいい」と思った。

すると今までガチガチに凍っていた
辛い気持がほぐれてきた。

辛い気持ちを
消し去ろうと思っていたが
それを認めて受け容れた事で
こころが楽になった。

努力もしないで逃げ回っていても
生きている上での多くの問題は解決しない。

じかし自分がやるだけの事を
やった上での躓きだったら

「何とかなるさ」と気楽に
思うことも必要なんだと気がついた。

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●なぜ失敗と挫折の人生でも 幸せだと感じることが出来るようになったのか

●なぜ失敗と挫折の人生でも
幸せだと感じることが出来るようになったのか



当たり前のことだが
再建社長時代は楽しい事など何も無く
息苦しささえ感じていた

もともと仕事は楽しいものだと
思っていなかった。

それに倒産、再建が加わるのだから
得体の知れないものに
常に圧迫されている状態だった。

心と体も何かアンバランスな状態で
どこかおかしいと感じていた。

おかしいおかしいと思いながら
仕事にのめり込んで行った。

しかし益々おかしくなって行った。

それは再建社長なんかに
なっているからだと思っていた。

再建さえ果たせば
人生の大体の問題は解決できる。

そう思っていた。

逆に再建に失敗すれば
自分の人生は修復不可能なほど
酷い事になる。

そう思っていた。

だから再建の失敗が
確信できるようになった時
焦りと動揺で憔悴した。

最後の日が訪れた。

これからの人生は
どんなに酷いものになるんだろう。
不安と恐怖で一杯だった。



◎仕事だけでは人生の問題を
全て解決できないんだとわかったから

再建に失敗して
後始末の作業も目途がついて来た頃
家族と久しぶりにゆっくりと
食事をする機会があった。

立派な再建社長になろう。
立派な親になり、立派な夫になろう。

10年間もそんな事を演じてきた。

これからは
失敗した姿を見せるしかない。

これからは
元気の無い姿を見せるしかない。

しかしそんな駄目な姿を
さらけ出せる場所が自分にはある。

それに気がついた。

家族で食事をしても
悩みが無くなるわけではない。

人生の問題が
それで解決できるわけではない。

でも悩みに耐えていられる
力が湧いてきた。

楽しい家族との時間を過ごすことで
生きるエネルギーが出てきた。




再建に失敗したということは
経営の仕方が間違っていたからだ。

でももっと大きな失敗は
人生の生き方を間違っていたことだ。

大会社の社長だから
親子関係の問題を上手く処理
できるわけではない。

どんなに頭が良くても
それで恋愛が上手く出来るわけではない。

仕事の成果が挙がらなくても
仕事の能率が上がらなくても
仕事が手に付かなくても

そんな日も
あっていいんだと気がついた。

心の触れ合いが
自分を正気にさせた。

失敗して挫折した事が
生き方を変えるキッカケになった。

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●なぜ失敗しても、くよくよせず 生きられるようになったのか

●なぜ失敗しても、くよくよせず
生きられるようになったのか



再建社長時代は
自分の弱いところばかり
気になっていた。

他人が幸せに生きている姿を
見ているだけで気分が重くなった。

他人が生き生きとして
生活していると

自分の不運な状態と比較して
妬ましい気持になっていた。

自分の事も嫌いになり
自分の事を許せなくなってきた。

表面上は、自分の心に
そんな葛藤があることなど
見せずに生きていたから
辛い毎日だった。

再建計画も7年目に入って
「こんな計画は無理だ」と
思い始めていた。

それから3年間も
飲み屋街を徘徊するような
酷い生活が続いた。

10年もかけて
再建会社を跡形もなく
消滅させた。



◎自分が好きな生き方をすれば
それでいいと思えるようになったから

失敗ばかりの10年間だった。
何もかも上手く行かなかった。

出来ない自分を
受け容れざるを得なかった。

それで他人の人生と自分の人生を
比較することが止められた。

いまなお成功の甘い果実は
味わった事がない。

でもそんなことは
どうでも良くなった。

失敗を恐れて何もやらないで
後悔するより

挑戦して失敗した方が
前向きに生きられる。

「絶対にこれが正しい生き方だ」
なんて口が裂けても言えないが

「自分が好きな生き方だ」
くらいは言える。



正直60才を越えても
自分が何をしたいのか
自分が何を求めているのか
把握出来ているわけではない。

しかし自分の弱いところも何もかも
許せるようになった

自分のことも少しづつ好きに
なってきた。

だから迷いながらでも
自分自身に辿り着けるような
気がしている。

私の人生は
どんな結末になるんだろうか・・・

自分でもワクワクしながら
それを楽しみに生きている・・・

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●なぜ再建に失敗したのに 再起をしようという気持ちになれたのか

●なぜ再建に失敗したのに
再起をしようという気持ちになれたのか



4億4千万の不良債権が発生して
父の会社が倒産

債権委員会との交渉の結果は
会社を再建させる方向で決まった。

その方向が決まっただけで
再建させようということではなかった。

日頃の信頼を裏切って
不正な取引での倒産だったからだ。

再建のチャンスは与えるが
絶対に楽な再建はさせないぞ!という
蛇の生殺しのような計画だった。

そこまでひねくれた
見方をしなくても

150社もある多くの債権者が
合議をするのだから

自ずから一番厳しい
再建案になるのはしょうがないことだ。

再建社長の指名を受け
債権委員会を何とか乗り切った。

とんでもなく高いハードルの
再建計画だったが
会社を清算すると言う事態だけは
避けられた。

取り合えず頑張ってみよう。
今だから本音を言えば
その位の気持にしかなれなかった。

でも乗り越えられなければ・・・

その先は誰も言わないけど
誰もどうなるかわかっていた。

債権者が潰したのではなく
再建会社が立ち行かなくなったのだから
しょうがない。

そして跡形もなく消滅して
やがて皆の記憶からも消えていく。

そんなシナリオだと
心の底では思っていた。



◎逆境は乗り越えるのではなくて
受け容れるものだと思えたから

それが無理な再建計画だろうと
何だろうと

とにかく死にもの狂いで
乗り越えなければならない。

でもあれも出来ない
これも出来ない。

社内の人心はゴチャゴチャになり
空中分解のような状態で
10年目に解散という結果になった。




何も乗り越えられなかった。
逆境を乗り越えられなかった。

そこで観念した。

まるで能力がなくて
だから成果も何一つ出せなくて
恐らく歴史に残る失敗社長だろう。

それを受け容れよう。
丸ごと受け容れよう。

100%事実なんだから
しょうがない。

そこで救われた。

逆境は乗り越えられなかったけど
失敗した事実を
ありのままに受け容れる事で

何とか再スタートをしようと言う
気持ちになれた。

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