●私が選んだ生き方

●私が選んだ生き方



30才で再建社長になった時は
その不運な現実に打ちのめされていた。

自分で造った財産でもないのに
その全てを失ったことで落胆していた。

そして自分の周りに
起こった事実にばかり捉われていた。

元に戻るはずも無いのに
そんな妄想ばかりしていて
意味のない気晴らしをしていた。

そんな心が腐った生活が
10年も続いた。

苦しくて苦しくて
そんな自分を支えきれなくて
起こった事実は
全て受け容れる事にした。

家も車も預金も・・・
毎月きちんと振り込まれた給料も・・・

社長の息子として
完全に保証されていた様に思えた
楽な人生など
影も形も無くなってしまったことを・・・

全て認めた。認めざるを得なかった。
もう何一つ元に戻る事など有り得なかった。



◎生きる姿勢は
 自分で選べる事に気がついた

何もかも無くした事を
全て受け容れると
不思議な事に心が軽くなっていた。

「何かを失う恐怖や不安に
おののく日をおくらなくてもいいんだ」

その日から変わった。

私は「どう生きたいか」などと
それまでの人生で考えた事が無かった。

妻と子の為に生きようと思った。
それで自分は変われた。

いま人生で
一番前向きに生きている自分がいる。

自分がこれから
どう変わっていくんだろうと
わくわくして
日々をおくっている。




30歳の時には
自分の身に降りかかった現実に
雁字搦めに縛られていた。

何と不幸な人生だと悲嘆に暮れていた。

しかしいま60歳を超えて
感じる事は

不運な人生だったけど
少しも不幸な人生ではなかった
ということだ。

生きる姿勢が大事だった。

自分に無いものを
振り回していてもどうにもならない。

自分が持っているもので
勝負すればいい。

それでも充分に
幸せな人生をおくる事ができる

生きる姿勢は
毎日自分で選ぶことが出来るのだから・・・

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●私が失敗人生で掴んだ失敗予防法

●私が失敗人生で掴んだ失敗予防法



60才を越えると
自分の能力はおおよそ掴めて来る。

テキパキと仕事を要領よくこなして
華々しい成果を出せる力は
どこを見渡してもみつからない。

だから他人へのアドバイスも
「こうやったら成功する」などと
口が裂けても言った事は無い。

その代りに失敗の引き出しは
幾らでもあるから
「こうやったら必ず失敗する」
というアドバイスは出来る。

しかも嫌というほど
痛い目にあっているから

もうそんな思いはしたくないと
心も体もしっかり覚えている。


◎その時にどうするのか
 わかっていればいい

相談に来る人の多くは
「私は苦労していないから」とか

「そんな大きな挫折を
乗り越えていないから」とか

自分を説明する。

苦労などしないほうがいい。
失敗や挫折などしないほうがいい。

そんな思いを度々していたら
心も体もズタズタになってしまう。

しかし長い人生では
避けようと思っていても
色々な困難に遭遇する。

だからそういう事態になったら
自分はどうするのか
自分はどう対処するのか

失敗経験者のデーターを
インプットして
シュミレーションしておくことだ。



想定内の問題だったのか
想定外の問題だったのか

それによって心の余裕が
まったく違ってしまう。

人は間違いも起こすが
経験者から学んでおけば

少なくとも同じ間違いは
防ぐ事ができる

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●私が頭を下げて人に教えを請うことが  出来る様になったのは

●私が頭を下げて人に教えを請うことが
 出来る様になったのは




若い頃は
歳をとれば自然に
分別が身に付いてきたり

ちゃんと物事の道理が
わかってくると思っていた。

それは大きな間違いで
60才を越えた今でも
「誰かに教えて欲しい」と
思うときが何度もある。

若い頃は
社長になれば
それなりに経営能力なんてものが
備わってくるんだと思っていた。

図らずも再建社長になって
色々失敗経験をしてみると
全くそれは妄想であるとわかった。



◎「教えて」といえるようになったキッカケ

超アナログ経営で
今の会社が行き詰っていたころ
東京から息子が帰ってきた。

世間知らずの息子に
社会の厳しさを叩き込んでやろうと
手ぐすねを引いていた。

しかし会社の体制は
急遽デジタル化にハンドルを切る事になり
その関係は逆転した。

パソコンやらインターネットやら
ホームページなんて

言葉の意味だけ理解するのにも
往生した。

頭を下げて「これを教えて下さい」と
息子に頼まなければ一歩も先に進めない。

苦渋の思いで
息子に教えを請うているのに
「直ぐ聞いたんでは何も身につかないよ」
「まず自分でやってみて
どうしても分からない時には聞いてきなさい」
との厳しい一言。

悔しい思いもあった。
親父の面子
丸つぶれだと思う気持もあった。

いままで自分の培ってきた
経験と実績がまるで役に立たない
情けなさも感じた。




でも良く考えたら
人に教えを請うのだから
先輩も後輩も無い
親父も息子も無い

頭を下げて
礼儀正しくお願いするのが
当たり前だと気がついた。

それ以来後輩に
「教えてください」という言葉が
素直に言えるようになった。

いままでの自分の失敗人生の
訂正までは出来ないが

軽挙妄動しがちな私の行動は
それでかなり規制する事が出来ている。

「失敗社長」人生終盤での気付き
留まる事を知らず・・・あぁ~

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●何度も溺れかかった私の人生

●何度も溺れかかった私の人生



人間は悩むために
生まれてきたのではないかと思うほど

人生では次から次へと
難題が持ち上がってくる。

再建社長時代の混迷は
その極みで

自信を失い己を亡くして
溺れかかっていた。

どうして助かったかは
いま思い出しても決め手はない。

「何時までも、こんな事をしていても
どうにもならないんじゃないか」

「とにかく生き方を変えてみよう」

10年間も、もがいた挙句に
そう思ったことで

氾濫している激流から
とにかく岸に這い上がる事ができた。



◎流れから這い上がって
 自分が溺れる様が見えてきた。

そんなジタバタした人生を送って
今になって周りを見てみると

皆同じ様に
悩んだり苦しんだりしている。

順調そうな人生を
送っているように見える人でも
何かしら問題を抱えている。

あちらの岩ににぶつかり
こちらの岩ににぶつかり
傷を負いながら生きている。



私の人生も
右に曲がり左に曲がり

これでもかこれでもかと
難題が持ち上がってくる。

そのたびに
あの岸へ這い上がった
記憶を呼び戻して
溺れるのを防いでいる。

一旦岸に這い上がって
流れを見てみると

自分が
どこら辺を流されていたのか

自分が
何処の窪みに入っていたのかが
良く分かる。

どう転んでも
人生というのは大きな川のように
流れていってしまうんだから

時には自分の人生を
俯瞰してみる事が必要なのかもしれない。

溺れる度に
藁を掴んでいるから

お陰で
藁の掴み方も大分
上手になってきた。

物は考えようだと
自分の人生を振り返って
いま思っている・・・

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●私に向いた仕事は、生き方は

●私に向いた仕事は、生き方は



特に深く考える事も無く
父の経営している会社であれば

楽な思いをしながら
楽な人生を送れるだろうと
安易な気持で入社した。

丁度30歳になったとき
負債30億で倒産という事態になり
そんな甘い予想は
木端微塵に砕け散った。

それから10年
苦闘の再建社長時代に分かった事は
自分が他人より
秀でたものは何も無いということだった。

この仕事は
自分がやりたい仕事なのか
この仕事は
どんな見返りが期待できるのか

そんな事を突き詰めて
考えられる状態ではなかった。

再建会社を整理して
新たな会社を立ち上げた時も
同じ様な選択だった。

この仕事ならと狙いを定めて
仕事を決めたわけではなかった。



◎失敗ばかりの人生だから成長できた。

いま振り返ってみても
その仕事を
未だ経験していないのに
それが出来るの出来ないのと
わかるわけがない。

何十年も失敗や挫折を経験した
いまならば

どんな仕事が向いているのか
おぼろげながらも掴む事は出来る。


むしろ失敗したからこそ
自分の長所や短所も納得して
認める事が出来る。

例えるのにはちょっと
無理があるかもしれないが
妻との結婚も
同じ様な事がいえる。

この人一緒になって
本当に幸せになれるのか

恐らく妻は
そんな不安を持ちながら
一歩踏み出したに違いない。

それからの倒産劇や
7回を数えた引越し経験など
本人からすれば
「聞いてないよ!」と
言いたいところだろう。

結婚も働く事も
何かも予想通りに行く事などなく
むしろ苦難や試練を
背負い込むことだって少なくは無い。

しかし起こった事実にどう反応するかで
その後の人生は変わってくる。




いま自分の人生を振り返って
後悔は無い。

その時々に
もうこれ以上のことは考えられないと
自分が自分の責任で選んだ
結論だったからだ。

だから苦しくても辛くても
いまさら人のせいにはしない

結果の良し悪しはある。
お金があるとか無いとかもある。

しかしそれぞれの能力の問題もある
運の強い弱いもあるだろう。

何もかも自分の
思い通りにはいかないのが人生だ。

だから将来の自分の為に
一歩を踏み出す事のほうが大事だ。

自分で選んだ人生だからこそ
どんな結果が出ても納得できる。

失敗しても
リベンジ出来るのだから・・・

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●私が苦し紛れに辿り着いたところ

●私が苦し紛れに辿り着いたところ



倒産、再建
そして再建会社の破綻という
試練を何とか乗り越えて

もうこれ以上の苦労は無いだろうと
密かに念じていた。

しかし神様は私のそんな願いを
一顧だにせず
その後の人生でも
次から次へと難問を突きつけてくる。

その度に
なぜなんんだ?どうしてなんだ?
どうしてこんな人生になってしまううんだ?
と煩悶していた。

考えれば考えるほど深みに嵌っていって
胃酸がグッとこみ上げてくる。

一瞬「成る様になれ」と思うが
小心者の私は、またそこで思い留まる。



◎自分が変わって感じること

苦しくなって辿り着いたのは
自分が変わるという結論だった。

自分を取り巻く人間関係を
変えようと思ったって簡単に
変わりはしない。

ましてや考え方を
変えさせようなんて
気の遠くなる様な話だ。

だから自分が変わることにした。
自分を変えることにした。

そうして一歩踏み出してみると
まるで視界が変わるのに気がついた。




60才を越えて
自分が変わっていくのは
若干の違和感が無いではない。

それは周りの、特に若い人達が
自分が変わるのを、変化していくのを
怖がっている様に感じるからだ。

確かに社会の状況は不安定だ。

しかしこれなら間違いないなんて
保証付きの人生なんてあるのだろうか。

失敗を恐れず、変化して挑戦していく。

その先に何があるか考える。
わくわくして変化した自分を想像する。

自分が変われば
そんな生きる楽しみに
巡り合う事が出来る・・・

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●私の人生の損得にまつわる話

●私の人生の損得にまつわる話



丁度30歳の時に
人生での損得に関わる
重大な決断を
求められる場面があった。

負債30億で倒産した父の会社の
再建社長に指名された。

大学を卒業後、入社して7~8年
社長の息子として、次期後継者として
頼りにされている様な雰囲気は
周りに欠片もなかった。

だからよもやと思った
再建社長指名だった。

負債30億なんて
見た事も聞いた事もない金額で
倒産した会社の
再建社長なんて「やりたくねぇ」
と言うのが間違いない本音だった。

社長指名を受けたのは
覚悟を決めたのでも何でもなく
逃げ切れないと思ったからだ。

指名を断れば
会社は直ちに清算になり

1%なのかか0,1%なのか
わからないが
僅かばかり残った再建のチャンスを
自ら放棄することになる。

そんな社員50名の運命を
自分一人で選択出来なかったというのが
本当のところだった。

だから刀折れ矢が尽きて
再建会社を清算するまでの長い間

これでよかったのか
これでよかったのか
と自分の心に問いかけていた。



◎お人好しの貧乏くじ人生

その後の人生も
華々しい事は何も無く

無欲な妻と一緒に
いつも列の最後尾にいる。

事業も自分のセンスの無さは
痛感しているから

儲かって
しょうがないなんて想いは
一度もした事がない。

しかし今振り返ってみると
そんな人生でも満更でもないと
思う事ができるようになった。

苦し紛れに選んだ結果だから
立派な人生の選択ではなかったけれど
安易に流れて
後悔の人生になるのは防御できた。

まるで無い無い尽くしのような
今の生活だが、結構幸福感はある



人生の岐路に立ったとき
どちらが正しいかをわかっていても
そう簡単に困難な道は選べないものだ。


しかし正しい道だけど
辛そうな道だからと
困難が待ち構えているのが見えるからと
選択しなければ
心の痛手となって残る場合もある。


だからあえて
苦労の道を選ぶ勇気を

自分の心の選択肢に
持っていなければいけないと思う。

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●万策尽きたときに私に見えてきたもの

●万策尽きたときに私に見えてきたもの



4億4千万の不良債権が発生して
負債30億で倒産

いま思うと
そんな事態になったことで
もう最初にあきらめることを
自分で決めていたふしがある。

確かに現実的な問題は山積している。
尋常な対応で解決できる事でもない。

自分にもっと経営能力があったら
処分できる資産がもっとあったら
社員がもっと協力してくれたら
周りの環境がもっと恵まれていたら

そんな風に
諦めなければいけない理由を
延々と探し続けていた。

もちろん気持は落ち込む。

何で私だけこんな辛い目に
あわなければいけないのか・・・



◎見つかった苦しみの源

自分を除いた人間に限定して
問題を起こした犯人探しをしていた。

当然のことながら
明快な結論は出てこない。

やがてそれは
不平不満となり妬み恨みとなって
自分自身が炎上していった。

こんな生き方では
もう耐えられないと思ったとき
自分が変わるという一手に
気がついた。


誰も何もしてくれないと
いう考え方をしていた時は

問題の解決策などは
五里霧中の話だった。

もし自分がこう考えればと
自分の責任として受け止めると
不思議にアイデアが
どんどん湧いてくる。

あぁも出来るのではないか
こぉも出来るのではないか



あきらめないで
自分のできる事からやってみる。

あきらめないで
自分の気付いた事からやってみる。

どんな事が起こっても
自分の受け止め方で展開は
全く違ってくる事に気がついた。

多くの失敗をしたから
いま多くの気付く事がある。

人生には何も無駄なものは無い。

誰かが言っていた言葉の意味が
身に沁みてわかった時だった。

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●私が心の老いを感じなくなった時

●私が心の老いを感じなくなった時



30才で再建社長になり
40才で精算するまでの10年間は

今考えると
恐ろしいくらい心が老いていた。

もちろん
将来に対する不安や
破滅するのではないかという
恐怖感もあった。

しかし一番の原因は
人の心の変化や、自然の移り変わり
に全く気がつかないほど
視野が狭くなっていたからだ。

会社、再建、ということに
必死になってしがみつき

堪えきれなくなって
自暴自棄な生活に嵌って行った。

人生では
自分の力だけでは
どうしようもない理不尽な事が
起こる時もある。

だから何度でもやり直せば
いいのだが

自分で視野を狭めて
もう再起不能だと思い込んで
絶望していた。




◎自分でも驚いた自分の変化

あれないか?あれだよ!と
妻に問いかける衰退した記憶力

メタボ、白髪、しわ
年齢からしても
外見からしても充分に問題なく
老いているのだが

いま不思議と
自分ではそれを感じていない。

妻が髪型を変えたことにも
草花の赤や緑の彩の変化にも
気づいている自分がいる。

周りが変化する。

それに反応して自分も
変化する事が出来る。

ちょっと視野を広げるだけで
ちょっと柔軟な気持を持つだけで

こんなにも気持が変わるのかと
驚いている自分がいる。




もともと年寄りの分別などという
殊勝な気持は持ち合わせていない。

そんな性分だからかもしれないが
新しい事にチャレンジしたい気持が強い。

自分にもわからない才能が
まだ眠っているような気もする。

年寄りの戯言と思わば思え!
失敗社長は今日も挑戦する!

体力はともかく
気持だけはそんな想いで
いま生きている。

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●失敗続きの人生で私が見えてきたもの

●失敗続きの人生で私が見えてきたもの



再建社長で失敗して本当に
丸裸になった。

何か悟りを開いて
無欲の人生を送るのかと
想像していたら

実際はとんでもない話で
お金も欲しい。
土地も欲しい。
家も欲しい。

そういう本音を
話すか話さないかの違いだけだった。

それでも改心して
以前よりも汗をかいて働いた。

しかし現実は甘くないから
サッパリ目が出ない。

相応の努力もしないで
結果を求める。

他人と比較して羨む。
自分に無いものを欲しがる。

自分の実力を思い知らされて
幾らかは正気になったが

本質的なものは何も
変わることはなかった。



◎自分の生きたい形

人の悩み相談を
受ける仕事を始めて

ようやく自分の
心と対話するようになった。

自分が
どう生きたいのか・・・

自分が
どういう人生を送りたいのか・・・

60才を越えて
今更生きたい形がわかって
それでどうなるのか?

そんな風に思われても
しょうがない。

しかし今までの人生は
何かを欲しがっていただけで

こう生きたいなどとは
思ったこともなかった。



もちろん物欲は
消えているわけでもなく

3億円の宝くじが当たった
夢を見るのも一度や二度でない。

しかし人が幸せに
なる事の手伝いをすると
やたら自分も
幸せな気持ちになれる。

あのいい加減な
生き方をしていた私が

人が幸せになる
手伝いをしたいという気持ちで
毎日を生きているとは・・・

人間は変われるんだと
いま実感している。

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